2023年9月の記事一覧
シン・短歌レッス94
紀貫之の和歌
『古今集 羇旅歌』で前の『離別歌』との違いは「羇」も旅のことで旅に特化したものなのか?「糸によるもの」は糸が縒り合わせる前の段階で「片糸」という非常に細いもの故に四句の「心細く」を形容した言葉になっている。この歌の心は三句目以下でその前はものに託した言葉ということだった。どうってないようなんだが、吉田兼好が『徒然草』で今の人にはとおてい読めそうもないと言ったとか。「片糸」というのが
シン・短歌レッス93
紀貫之の和歌
『古今集 離別歌』で紀貫之が志賀の山越えで山中の清水のほとりで詠まれた歌だという。「むすぶ手の」は手をむすぶことではなくて、水を掬い上げて、その雫が濁らせてしまうという意味だという。美しい女性との別れだというがどこにそんな姿があるのだろうか?しかし、藤原俊成が歌論書で「大方うすべて、詞、事の続き、姿、心、かぎりもなき歌なるべし。歌の本体は、ただこの歌なるべし」と絶賛しているという。
シン・短歌レッス92
紀貫之の和歌
『古今集 冬歌』で紀貫之が一年の終わりを詠んだ歌。鏡に映し出された自分の姿までも老いてしまったという意。「増鏡」は「真澄みの鏡」から転じた言葉。紀貫之は当時三十五歳ぐらいだったらしい。当時は四十歳で老人の仲間入りだと言うから、今の55歳ぐらいなのか?でも55歳でも若作りの人は若いよな。このぐらいの年で病気になって一気に老けた感じになってしまったが。ナルシスだったら絶望する年かもしれ
シン・短歌レッス91
京都行きの電車に乗ったが京都は通過駅だった。もう何十年も京都に行ってなかった。京都といえば自分の中ではお寺巡りよりもジャズ喫茶。
ベンチャーズよりも、『二十歳の原点』の高野悦子が「しあんくれーる」で聴いたというスティブ・マーカス。
紀貫之の和歌
『古今集 秋歌下』の紀貫之が9月の末日に秋の締めくくりとして詠んだ歌。「小倉の」は「をくら(し)の」で掛詞「暗い」という意味であり、鹿の姿ではなく鳴
シン・短歌レッス90
紀貫之の和歌
まだ紅葉には早い季節だが強風で散った紅葉の葉が色づいていた。カエデだな。紀貫之の歌は『古今集・秋下』。「夜の錦」は司馬遷『史記』の「項羽伝」からで、夜の闇では錦も見えなく役立たないというような意味。中国の古典からの本歌取りも多いという。まあ、自然に湧き上がる詩心なんて、本当の天才じゃなきゃめったにないだろう。紀貫之でさえそうなのだ。
菊はあまり顧みられてような。国花なんだよな。桜
シン・短歌レッス89
紀貫之の和歌
菊はあまり顧みられてような。国花なんだよな。桜のほうが人気があるのは、季節によるものだろうか?菊で終わりという感じがしないでもない。仏前に供える花という印象もあるのかもしれない。
「にほふ」というのは見た目のことを言っているということ。色や光の照り返しが美しいさま。桜の花で「にほふ」があって、そんなに匂わんだろうと思ったがそういうことだった。ただ現代人の鼻は臭いものが多く退化して