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シン・短歌レッス94
紀貫之の和歌
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『古今集 羇旅歌』で前の『離別歌』との違いは「羇」も旅のことで旅に特化したものなのか?「糸によるもの」は糸が縒り合わせる前の段階で「片糸」という非常に細いもの故に四句の「心細く」を形容した言葉になっている。この歌の心は三句目以下でその前はものに託した言葉ということだった。どうってないようなんだが、吉田兼好が『徒然草』で今の人にはとおてい読めそうもないと言ったとか。「片糸」というのがわからないとありきたりな歌だと思ってしまう。
古今集 羇旅歌
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でしか月かも 安倍仲麻呂
わたの原やそ島かけてこぎ出でぬと人には告げよあまのつり舟 参議篁
ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれ行く船をしぞ思ふ 詠み人知らず
から衣きつつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ 在原業平
名にしおはばいざ言とはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと 在原業平
北へ行く雁ぞ鳴くなる連れてこし数は足らでぞ帰るべらなる 詠み人知らず
糸によるものならなくに別路の心細くもおもほゆるかな 紀貫之
夜を寒みおく初霜をはらひつつ草の枕にあまたたび寝ぬ 凡河内躬恒
狩り暮らし棚機つ女(め)に宿からむ天の川原にわれは来にけり 在原業平
このたびは幣も取りあへず手向けやま紅葉の錦神のまにまに 菅原道真
手向けにはつづりの袖もきるべきに紅葉にあける神やかへさむ 素性法師
「天の原」は超有名な唐で日本の月を懐かしむ遣唐使だった安倍仲麻呂の伝説の歌。『百人一首』にもあるが、どうも仲麻呂が作ったのではなく、仲麻呂の伝説がこの歌を引き寄せたという。紀貫之『土佐日記』では初句は「青海原」となっているのはその都度改作された流動的な歌だという説。
「わたの原」も『百人一首』に載る超有名歌だった。前の歌と対になっているのは、一方が遣唐使という使命を帯びたものなのに、こっちは島流しという。ただ参議篁の性格が島流しなのに勇壮なものにしている。「やそ島かけて」が次々通過していく八十余りの島をかけてという言葉がすでに海上であり、「人に告げよ」という命令口調が身内の者に対する気持ちと「あまのつり舟」という対象が瞬時に呼応するがのごとく決まっている。参議篁は漢詩人でもあったのでその良さが和歌にも出ているという。
「ほのぼのと」は柿本人麻呂の歌だと言われたが解説では否定していた。それだけ見事な歌であるということの現れだという。「ほのぼの」→「朝霧」→「島がくれ」というおぼろげなこころの状態を歌っていて魅力あるがあるとする。羇旅の歌は万葉的ではあるのかな。
前の三句が悲壮感溢れるのに対して業平の折り句は余裕を感じさせる。この繋がりは業平はすでに旅人歌人として、一目置かれていたのかもしれない。このへんの余裕は松尾芭蕉にも繋がっていくような気がする。
鳥に語りかけるなんて業平ならではのすっとぼけた感じか?
同じ鳥に語りかけるのでも「雁」になるとぐっと悲しみを帯びてくるのは、冬鳥なのとその鳴き声ゆえか。この並びは編集テクニックが出ていると思う。
そしてそれに連なる一筋の糸という感じか?
「夜を寒みおく」の凡河内躬恒は旅の苦労を歌う。
業平レベルになると天の川を読む余裕さえある。
「このたびは」は『百人一首』にも載る菅原道真の有名歌。このへんは『古今集』で掲載されてより有名になったのかもしれない。『羇旅歌』には古の歌人の歌が多い。
その菅原道真の歌を受けての素性法師歌は、当代随一の歌人ということだったのだろう。紀貫之や選者を外して。まあ菅原道真の返歌だから、呪われるのが怖いんであえて僧侶にしたのかもしれない。
葛原妙子
寺院シャルトルの薔薇窓をみて死にたきはこころ虔しきためにあらず 『薔薇窓』
あやまちて切りしロザリオ転がり玉のひとつひとつ皆薔薇 『原牛』
死神はてのひらに赤き珠置きて人間と人間のあひを走れり 『原牛』
胡桃ほどの脳髄をともしまひるまわが白猫に瞑想ありき 『原牛』
わが服の水玉(どつと)のなべて飛び去り暗き木の間にいなづま立てり 『原牛』
薄命ならざるわれ遠くきて荒海の微光をうつすコンパクト 『原牛』
原牛の如き海あり束の間 卵白となる太陽の下 『原牛』
黒峠とふ峠ありにし あるひは日本の地図にはあらぬ 『原牛』
築上はあなさびし もえ上がる焔のかたちをえらびぬ 『原牛』
拡大鏡ふとあてしかば蝗の顎ありし 蝗の顎は深淵 『原牛』
「寺院シャルトル」はノートルダム寺院の別館のようで似たようなゴシック建築の代表する建築物だという。その中で特に有名なのが「薔薇窓」と言われるステンドグラスだという。まあ、そのステンドグラスの美しさを見て死にたいと思う浪漫は敬虔な信者の者ではないというミーハーなおばさんの想念なのか?とも思うのだが、葛原妙子は美意識歌人の最たる人というイメージでそこに死をイメージする美=死というのは敬虔な信者にはなり得ないよなと思ったりした。
後年実際に見るとそれは罪過の印であろうかと記している。つまりその罪過を抱えているのは葛原妙子その人だったのである。
「ロザリオ」は十字架の首飾りだが、そのロザリオよりも数珠玉の方に注目してしまう非キリスト者ということなんだろう。それが薔薇のように見えたという。その数珠は「ざんげ玉」と言って、ここでも罪人なのだがキリストと繋がれているはずがそれがバラバラになって薔薇のような美を見出すのだ。
「死神」の歌は「赤き球」が罪人なんで、「人間と人間のあひを走れり」は「人間(ひと)」との邪なあひ(間か愛か?)通り過ぎるということなのだろう。「赤い球」は罪人の命の球というイメージか?それが死神の範疇にあるという。
白猫はペルシャ猫だとどこかに書いてあった。葛原の愛猫で、その脳みそが「胡桃ほど」というのははっきり馬鹿猫なんだろうけど、その白猫さえ瞑想しているという高貴さがあるのだ。
「わが服の」「水玉(どつと)の」の表現がお茶目な気がする。でも水玉は怖い部分もあるよな。稲妻によって一瞬のうちに無地になってしまったという詞書。幻視の女王だから。でも光が強いと白化して見えることはあるな、と思う。
「薄命ならざるわれ」って言い回しが面白い、コンパクトに収まってしまう葛原妙子かと思ったら荒海(日本海だという)を見ているのだった。
『原牛』のあとがきで「原牛、は日本海を見て得た名である」と述べている。
原牛は砂丘と砂丘とのあいだに定まり力充ちた海であった。力充つるがゆえに、りりと寒いものの悲哀であった
どこまでも自由な発想をする葛原妙子はちょっといいと思う。
「黒峠」も葛原妙子の作り出したファイナル・ファンタジーなのだ。それを楽しめるか楽しめないかの短歌。
「築上は」は東北旅行での弘前城だというが、これも想像の産物だろう。芭蕉の「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」に通じる。
これも芭蕉の句に通じると思う。蝗は聖書的イメージでもある。「イナゴの日」。
うたの日
今日は「笛」。「ハーメルンの笛吹き男」か?
『百人一首』
憂いたるハーメルンの笛吹は黒峠超えうたの子ら消え
♪二つでした。葛原妙子を入れたけどあまり注目されなかった。
映画短歌
『国葬の日』
『百人一首』
国葬も無関心な人々よ命は軽く秋も去ぬめり