読書録📚君は君の人生の主役になれ
これ、めちゃくちゃ良かったです。
今年10月に出版された本
はるさんのVoicyで知り読みました。
小中高生向けのようですが、大人の私にも刺さる。
著者の独特な言葉選びが心に刺さり、子どもを通して、私たち親への切実なメッセージも読み取れました。
特に、「子どもの自己肯定感を育てよう」とか「キャリア教育大事!」と息巻いてる親御さん(私も含め)、読んでみてほしい。
自分に刻みつけたい箇所抜粋↓
◎理解のある親はあなたの抵抗力を奪う
「あなたの好きなことをしなさい、あなたの人生なんだから」
と子どもに理解を示し続ける「いい親」が増えた。
こういう親は、実は厄介。
なぜか。
理解がある親でありたいという精一杯のふるまいの視野の中に、肝心のあなたがいないから。
それなのに、あなたはその親の思いを宝物のように抱え続けることになる。
そうやって、「いい親」があなたを「いい子」に縛り付ける。
あなたの抵抗力を根こそぎ奪ってしまう。
それは最も優しい子育てのようで最も残酷な子育て。
親子関係に限らず、相手を気遣い配慮することは、相手とともに関係を踏みしめることを不可能にする。
◎「ダメ」をポジティブフレーズに言い換える子育て
現在、「〜したらダメ」のような否定語をポジティブフレーズに言い換えようと提唱する育児本が人気。
いかに子どもを否定することなく、「自己肯定感」を損なわせずに立派に育て上げるかという点に大きな関心が向かうようになった。
しかしこのとき親は、
「私が子どもにこう働きかければ子どもはそうなる」
コントロールの欲望をむき出しにしている。
子どもをコントロールしたいからこそ、狡猾なやり口に惹かれている。
◎「自己肯定感」なんてものは存在しない
「自己肯定感」なんてものは存在しない。
なぜなら、人は自分ひとりで自分を肯定することなんてできないから。
自分だけではどうしようもないということを潔く受け止めて、世界に目を開いてみることからしか何も始まらない。
あなたは親に愛されたから愛を知っただけではなく、親があなたをうまく愛せなかったからこそ愛の深さを知る。
◎「キャリア教育」の求める人間像はあまりに狭量で貧困
学校でも、将来のために早いうちから稼業を指南しておこうという動きがさかん。
しかし、これは愚策。
学生時代に必要なのは、失敗を恐れずに試行錯誤と思考実験を繰り返すことであり、コミュニケーション能力や自己管理能力などを磨き、具体的なキャリアプランニングをしていくことではない。
なぜこんなことが起こっているのか?
(続きは本書で)
◎先生を槍玉に挙げて悪口を言う
それは、先生のことを十分に「人間」として見ていないから。
先生を身分や役割として見ている。
先生という仮面の後ろに脆弱な心を持った人間がいることが想像できていない。
しかしこれは反作用。
朝礼で長話をする校長先生は全然「わたし」を見ていない。
「わたし」に触れてこない言葉のシャワーに、知らず知らずのうちに傷つけられている。
しかし、
先生が生徒の「個」に着目できないのは、学校という環境の問題でもある。
◎なぜ学校では子どもの「個」がないがしろにされているのか
その理由。
それは、先生が忙しく余裕がないから。
それだけではない。
生徒以前に先生の「個」もないがしろにされている。
ほとんどの学校には「他の先生と違うことをしてはいけない」という不文律がある。
「生徒にコメントを書いてはいけない」
「花丸をつけてはいけない」
クレームに対応できる人的コストがないため、できるだけ当たり障りのない対応を求められる。
先生も「個」を奪われている。
◎尊敬されない学校の先生
「やっぱり実社会を知らない世間知らず」
「一般常識がない」
と、先生を揶揄する大人がいる。
この根底には
企業主導の社会常識こそが現実であり、偉いという価値観がある。
先生の仕事の要を全然理解できていない。
先生は、
実社会を知らないから(もしくは、あえて重んじないからこそ)こそ、子どもと関わる資格がある。
実社会という狭い現実を上位に置くような教育では、子どもは育たない。
◎「ワンチャン」は新時代の価値観
「ワンチャン」は、平等主義への子どもの無意識のレジスタンス。
頑張れば誰でも成果は出る
は、敗者=努力が足りないの自己責任論を招きかねない悪質な嘘。
実際、向き不向きがあり、習得にかかる手間も時間も人によって違う。
「生まれ」という偶発性も、努力以前にその人の人生そのものを左右する。
「誰でも頑張れば成果が出る」
より
「オレでもワンチャンいけるんじゃね」
のほうがリアリティがあるし希望もある。
「ワンチャン」は、大人の旧来の価値観への、子どもの無意識のレジスタンス
***
その他にも
・制服選択性にまつわる話
・人間は資本に包摂される
・宿題っていったい何!?
・自分の不満を子どものせいにする親
・あなたはなんのために勉強をするのか
制服選択性にまつわる話。
差別する人は、自分を差別しない人間だと本気で思っていて、マイノリティの気持ちは絶対に分からないことを分かっていないことが、高校生の会話からよく伝わってきました。
あとがきもすごく良かったです。
感想
キャリア教育への違和感は納得。盛り上がっているけど、なかなか乗り切れない。
自己肯定感子育てについては、最近少し違和感を感じ始めていた正体はここだったのかもしれないなあ…と本書を読んで少しすっきりしました。
あと私、子どもを見下してるのかも…と、読んでて思いました。
以前よりは「自己肯定感を育む子育て!」とか声高に言わなくはなりましたが(それより自分のことで必死に)、今やってる子育ても、どこかいいなと思った子育て法を取り入れて実践しているわけで。。
それって、自分の子育てで、子どもがどうにかなると思ってる、非常に傲慢で、子どもをバカにしてる行為なのかもしれないなと思いました(一気に自己否定モード)
以前こちらの記事でも、子育てにおける親の影響はあまりないと、読んでいてほんとにそうなんだろうな〜と思った。
けど、まだ子どもをコントロールしちゃってる。
こうなってほしい、という方向に誘導しちゃってる気がする(「どっちの服にする?」と聞いて、着替えない選択肢を消したり😂)
今は大変過ぎてコントロール技をよく使っちゃってるけど、この癖をずっと続けるのはいけないなと思いました。
私の父親は少し毒親要素あったのですが、私は、そこから得られたものがめちゃくちゃ多いです。
そのときの対処スキルが今すごく役立ってるし、父親とは仲良しです(仲良しほどじゃないか、普通です)。
親って、なんでも認めてあげる、好きなことをさせてあげるだけじゃなくて、時には理不尽さを見せつけることも必要なのかもしれないな〜と、最近思う。(暴力とか不可逆的なトラウマは除き)
まあ、結局親はありのままでいればいいということかな。(思考放棄)
何度も読んで刻み付けたい本でした。
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