【長崎】sima 麻辣咖喱
そもそもに、こころがカスカスの砂漠だった。
ぽかりと穴があいた、というよりも、こころはあるのに干からびていたから、胸が痛かった。
眼球はねばついて床を睨めつけるばかりで、手足はキンキンに冷えていた。
こういうときはカレーだった。
でも、そんな贅沢が許される気がしなかった。
ぱさぱさの毛羽だった精神には、財布を開くことは月末の自分を苦しめる自傷にも思えたし、迷っているうちに職場から歩いて五分の自宅に着いてしまった。
一度座ると、難しい。
ものすごくカレーを食べに行くか悩んでいる。
かなり、険しかった。
わたしが富豪だったらこんなことはちっとも悩まなかったはずだけれども、あいにく今月使ってもいい金額はあとわずかになっていた。来週美容室に行くことも敗因のひとつ、楽しみなんだけどね。
まっとうに働いてるのに、いつまで生きるかわからないのに、貯金っているのかしら。後ろ向きな積極性が芽生えそうになる。
カレーはマーラーな味付けの期間限定のもの。いつも大好きでここぞというときに行くカレー屋さんの、平日限定のカレー。そんなの食べてみたいじゃないか、と思うけれど、しびれる系の辛さが少し苦手なものだから行って苦手な味付けだったらとても悲しい。
たとえこれは、富豪であっても悲しい。ひとりである程度の金額を払って、楽しみに食べたカレーが好みじゃない。富豪ならある程度の金額のくだりはあんまり気にならないかもだけれども、今日一日をしめる慰めの晩ご飯がそれ。しかも、意気込んで食べて好みじゃない、そんなのつらい。つらすぎる。一回分の胃を返して欲しい。定職に就く私にとって、より有限なのは金より胃袋だ。
今考え得る最も身近な不幸のひとつ。
やけに眩しい蛍光灯。
ひとりじゃなけりゃいいのだけれど。悲しみを分け合って、なんなら物理的にカレーを分け合えばいい。でも、今からご飯に誘える友人はいないのだ。みんな、忙しい。あとスパイスが嫌い。
人類よ、スパイスを愛せ。日本人よ、スパイスと和解せよ(主語が大きい我が友向けの言葉)
飢餓とまでは言わない、うっすらとした空腹でキーボードを打つ。未だこころは決まらない。母に後押しして欲しい気がしてラインをしてみるも返事が来ない。カレーぐらい自分の意思で食えとも思う。違う、お金を使う許可が欲しいのだ。
罪悪感。お金はあまりない。でも幸せに生きたい。私が望む幸せは高すぎるのか。そうでもないと思ってたけど。たしかマーラーカレーは一二〇〇円。
嗚呼、カレー、カレー。
本を渡す予定だった友人に会えなくなったのも要因の一つ。仕事終わりの小さな楽しみだった。仕事め、憎いぞ。
すごく疲れて、力が入らなくて。こんなときはカレー、なんて言い訳もしてみて。
もいちどラインを確認して、考える。
優柔不断というか、責任転嫁。
結局、私はカレーを食べた。
母からのラインは来ず、己の意思で食べにきたカレーだった。
正式名称、麻辣咖喱。すごくすごく、美味しかった。
もう顔なじみになった店主に何度も痺れないか問いただし、痺れるというよりも唐辛子の辛さだと聞いてならばと選んだ。
じっと、カウンターで待つ。本なんか読んでみたり。でも意識はずっとキッチンに向けられて。
気付けば白いTシャツに大ぶりの金のピアスをしていて、とても果敢な服装(特にカレー屋という点で白とはね。)
すごくカレーに意気込んでいた。そうでもしないと、からだには後悔するかもという家を出た後悔が、すでに纏わり付いていた。
でも、太鼓。
カレー屋に向かう道中は祭りの稽古で太鼓が響き渡る。泥のように沈んでいた思考がさぁっと涼しくなる。酸素が渡された花の気持ち。夕暮れ時に、ひとつ呼吸をしたカラダ。
そう、食べるならば食べよう。楽しく美味しく食べよう。
(同じくお金をだすのだから)
ってまで脳みそで付け加えます。
カレーはうっとりするぐらい美しいフォルムでやってきた。平たい皿のまんなかに一粒も乱れない米の丘。そのうえに、卵。
カラフルなアチャール(付け合わせ)が楽しいすぎて小躍りしてしまう。これは僕のカレーですよ!ってそこにいる三人のおじさんにも喧伝したくなる。良いでしょ、あげないよ。(おじさんたちはカレー屋を開く話をしていた。すごいねビジネスマン。でも目の前のカレーに集中しなよ、なんて)
ぱっかり割った卵は白身と黄身の堅さが最高に美しい一品だった。思わず写真をとる。涙が出そうだ。
ひとくち。
ああ、そう。これ。これが食べたかったの。
ぐんと旨味が口のなかにひろがって、ひとくち、さらにひとくちと食べるごとに辛さが蓄積していく。たしかにこれは唐辛子の辛さで、すこしだけ後味に酸味のようなしびれがいるかも、しれないなというぐらい。うまい。しびれって、さわやかさなんだ。
サービスでいただいたチャイの助けを借りながらも、辛さの限界をちょっと超えたくらいで美味しく食べれた。
何より、没入感。
脳みその裏の、白。
ここのカレーほど、「食べる」以外のコマンドを忘れる食べ物を他にしらない。
玄米の歯触り、鼻腔いっぱいのスパイス。挽肉のざらざらに野菜が顎に楽しい。それからどこかにいる甘み。エンドレス。
今以外を忘れることは、自分へのやさしさなのだ。
辛くとも、甘い逃避。
それを自分の恥と、冒涜と捉えてしまったらきっと人は生きていけないし、カレーの世界消費量は半分以下になる。
(帰り際、三人のおじさんが「ここのカレーが長崎イチ」と言っていた。
わかってるじゃん、なんて。)
スパイスでほかほかする胃をさする。
まだ祭り囃子は大音量だ。
体にまとわりついた泥はどこかに消えた。これが暑気払いってやつだなぁとしみじみ、響く太鼓と美しいカレーに思いを馳せる。
風呂に入ってもみぞおちは温かい。
これはまだ、夜も更けない火曜日のこと。