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(小説)おおかみ少女・マザー編(三・四)

(三・四)ラヴ子十歳(その1)・人類が上司
 二〇九〇年、ゆきは十歳になった。季節は冬。
「ねえ、あなた……」
「何だい?そんなに、浮かない顔して」
 健一郎が休日の朝である。秋江はディリーヨコハマの朝刊を広げながら、憂鬱な面持ちで健一郎に話を向けた。
「本当に大丈夫なの、わたしたち?クローン人間……」
「おい、おい!気を付けろよ、その言葉」
「分かってるわよ、その位。でも本当にわたしたち、何にもしなくていいの、このまま?」
「わたしたちって、旧人類ってことか?」
「当然でしょ。だって、何これ?」
 秋江が健一郎に示したディリーヨコハマの記事は、こうである。
『また拡がった人類と旧人類の人口比率
 全世界の人口は約四十五億人で変わらずほぼ維持されている。人類が約二十七億五千万人に増え、一方旧人類は減少し約十七億五千万人となった。その差は遂に約十億人の大台に乗ったのである。これによって更に人類による政権運営、国際協力による地球規模の運営も、円滑、安定したものとなるであろう。(以下、省略……)』
 秋江が不満そうに零す。
「これ、あなたが書いたんでしょ?」
「そうだよ、俺の記事だよ」
 何か、文句でも有るのか?そんな口振りの健一郎である。しかし秋江も負けてはいない。
「何が偉そうに、そうだよ、よ!これ、人類礼賛もいい所じゃない?本気でこんな記事、書いてる訳?ねえ、あなた。わたし、信じらんない」
 健一郎の顔を覗き込む秋江。
「そんな訳ないだろ!でもそんなふうに書かなきゃ、これだぞ」
 健一郎は片方の手で、自分の首を切る真似をした。
「辛いわね、新聞記者も……」
 そして互いに大きなため息を吐く、ふたりであった。

 人類による勢力拡大の波は既に、横浜のローカル新聞に過ぎないディリーヨコハマの会社にも及んでいた。トップを始めとする経営陣の半分以上が既に人類に置き換わっていたし、健一郎の上司もまた人類で、阿部という男だった。健一郎の同僚である記者仲間も既に、過半数が人類で占められていた。
「本当だったら俺も今頃とっくに、首になってた筈なんだけどな」
「阿部さんが残してくれたんでしょ。でも何でそんなに阿部さん、あなたのこと気に入ってくれたの?」
「それがさ。何でか分かんないけど、阿部さん初対面の時から、ゆきが養女だって事知っててさ。それで俺のこと『斉藤さんて、いい人ですねえ。これからも記者として、宜しくお願いします』って、挨拶されたんだよ」
「へえ、何で知ってたんだろ?ちょっと怖い……。でもまあ、じゃあ、ゆきちゃんのお陰だったって訳ね」
「そういうこと。でも油断なんか、してらんないぞ!これからだってクローン……いけね、人類ばっか、どんどん増えてくんだから。俺だっていつ御祓箱になるか?分かったもんじゃない」
 ため息を吐く健一郎に、秋江が続けた。
「だからこそわたしたち、何かしなきゃ、なんないんじゃない!でしょ?」
「じゃ、何かって?」
「だからあ、わたしたちの人口を増やす為に……」
「いやいや。もう手遅れだよ、今更」
「何、速攻で諦めてんのよ、あなた」
 しかし健一郎はかぶりを振るばかり。その顔の表情には、悲観しか見て取れない。
「もう無駄だろ、何やったって。そもそも二〇三〇年だっけ?あの時、クローン、じゃない、今の人類の創造と普及拡大に舵を切った事が、全ての元凶なのさ。あの時……そうだよ。あの時、あの瞬間から、俺たちがこうなる事は、もう既に決まっていたようなもんさ」
「そんなあ……。二〇三〇年なんてまだわたしたち、生まれてもいなかったじゃない!」
 秋江と言えども、悲観的更には絶望的に成らざるを得ない状況、時代なのであった。

 健一郎と違って記者の仕事を奪われた旧人類たちは、社内に残って低賃金の雑用の仕事をするか、会社を辞めて職探しをするしかなかった。しかし職探しと言っても、旧人類には単純作業、肉体労働、サービス業位しか無く、かつ低賃金であった。
「ゆきちゃんが大人になる頃には、一体どうなっているのかしらね?わたしたちも、この世の中も……」
「さあな。クローン、いけね、いけね!人類様に、聞いてくれよ……」
 健一郎と秋江は顔を見合わせ、深いため息を零すばかり。そして旧人類たちの暮らしと言えば、何処も皆、こんな日々、日常なのであった。

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