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(小説)おおかみ少女・マザー編(三・五)

(三・五)ラヴ子十歳(その2)・祖父
 ため息に暮れる健一郎と秋江の前に、ゆきと健一郎の父親つまりゆきの祖父である、斉藤保雄が現れる。
「何処行くの、ふたりとも?こんな朝早くから」
 尋ねる秋江に、ゆきが無邪気に答える。
「おじいちゃんと雪だるま、作りに行くの」
 地球寒冷化の影響でここ横浜でも、冬に空から降って来るのは雪ばかり。たまに霙(みぞれ)になる程度。本年度、横浜市の冬の平均気温は、1℃を計測していた。
「そんな恰好じゃ、風邪ひくわよ。もう一枚、上にコート羽織りなさい、ゆき」
「はーい」
「親父も無理すんなよ。体調あんまり良くないんだから、最近」
「分かってる、分かってる。でも今日は絶対、ゆきに負けられないんだよ。なあ、ゆき」
「うん」
 にこにこ保雄に笑い返す、ゆきの顔が眩しい。天真爛漫に育ったゆきは、何かと暗い話題しかない斉藤家にあって、唯一の救い、慰め、希望の光であった。
 小学四年生のゆきは、横浜市西区にある港町第一小学校に通っていた。ここには人類と旧人類の両方の生徒がいて、クラスの中もまだ両方混合だった。しかし東京では学校自体を完全に人類、旧人類で分けたり、そうでなくともクラスを人類と旧人類で分ける、そんな教育体制が既に始まっていた。従ってここ横浜にその波が押し寄せて来るのも、最早時間の問題でしかなかった。
 ゆきのクラスは4年3組。人類と旧人類の割合は6対4である。男女各々での割合も似たようなもの。少し前までは子どもたちの間に人類、旧人類の区別や意識は余り見られず、誰とでも気軽に付き合い、喧嘩もしていた。ところがここ数年で様変わりし、子どもたちの中にも人類と旧人類とで分かれて行動する姿が多く見られるようになった。またクラスの担任や教師は皆、人類である。

 さて、ゆきは斉藤家に養女として来た頃から、おじいちゃんの保雄と気が合い、仲が良かった。ゆきは直ぐに近くの幼稚園に入ったが、幼稚園からまっ直ぐ家に帰って来ると、いつも保雄と遊んだ。ゆきはおじいちゃんが大好きだった。保雄はゆきに、多くのことを教えてくれた。
 二〇二〇年生まれの保雄は、今年七十歳。まだ人類(クローン人間)が存在しなかった時代を知る人間である。と言っても、子どもの頃のことであるが。彼の少年時代より少しずつ人類が現れ、そして増えていった。
「そりゃもう、あっという間だったよ。やつらどんどん増えてさ。気付いたら、あっちもこっちもあいつらだらけ。五十年夢幻の如くなり、なんて言うけどさ。ほんと五十年の間に日本も世界も、世の中がらっと変わっちまったのさ。呆れちまうぜ、俺なんざ」
 そんな愚痴を零した所で、子どものゆきに分かる筈もなかったが、ついつい愚痴りたくなるのが人情というやつ。保雄は決して反人類(クローン人間)的な立場ではなく、極一般的な人物だった。しかしそんな保雄もいつのまにか、人類のことをやつら、あいつら、と批判的に呼ぶようになった。以降、保雄の人類に関する談話である。
「そりゃはじめの頃は、友好的でさ、俺らも良い仲間が出来たなあって。って言うか見た目全然変わんないから、同じ人間同士って感じで、極自然に付き合っていたさ。
 ところが或る時からやつら、急に態度でかくなりやがって。そのお陰で、直ぐにあゝあいつはあっちのやつだなあって、態度で分かるようになっちまった位さ。
 ん?或る時って?そりゃあの時からだよ。忘れもしねえ、二〇八五年のことだあ。あいつらが人類で、俺らが旧人類だーって、ふざけた事言い出しやがって。何が旧人類だよ。丸で類人猿みたいじゃねえか。猿かよ、俺ら。笑っちまったぜ、まったく。
 だいたいよ俺らなんかさ、あいつらが出て来た二〇三〇年代頃なんて、差別とかであいつらが傷付かないようにって、さんざ気遣ってやったんだぜ。
 なのにあいつら、ころっと手のひら返しやがってさ。どうだ!羨ましいだろって顔で、パスポート見せびらかしやがって。何が人類パスポートだ、阿呆らし。あんなもん一枚で良い会社にゃ入るわ、良い店にゃ入って行くわで、たまんなかったよ俺ら。
 でも一番腹立ったのはさ、あいつら本人は勿論だけど、それ以上に俺ら側の若い娘っ子たちな!やれ、格好ええだの、金回りが良いだのって、向こうの男どものケツばっか追い掛け回しやがって。丸でジャニーズの追っ掛けか、米兵追っ掛け回す横須賀のねえちゃんみたいなもんだ。あゝみっともねえ。どうせ遊ばれて、ポイッ。捨てられるだけなのによ、可哀想なもんだ。
 だってあいつら絶対、仲間同士でしか結婚しねえもん。あいつらの団結力ってのは、そりゃすげえ。俺らなんかと違って、めっちゃ強えんだから。敵う訳ねえよ、まったく……」
 このように一度人類のことを喋り出すと、話の尽きない保雄なのであった。

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