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(小説)おおかみ少女・マザー編(三・十六)

(三・十六)ラヴ子十三歳(その5)・サルビアの花
 次の日からゆきは毎日、真弓と共に或いは真弓がいない時でもひとりで、サンクスファミリア港横浜店に顔を出すようになった。義夫の方も監視カメラのモニタの中にゆきの姿を見つけると、わざわざ店の中へと出ていった。そして偶然を装い、ゆきに挨拶。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは!」
 ゆきも頬を紅く染めながら、挨拶を返す。義夫はそのまま商品棚を整理したり、店のウィンドウを拭いたり……。片やゆきはゆきで、幾度となく店内を行ったり来たり……。こうして一日一日顔を合わせる毎に、ふたりは更に惹かれ合い、相手への切なき想いはどんどん膨らんでゆくのであった。
 それから一週間もするとあくまでも客と店員との間柄ではあったが、親しく会話をするようにもなった。
「読みたい雑誌とかあったら、立ち読みしてもいいから」
「まじですか?ラッキー!」
「他のお客さんには内緒、内緒……」
「分かってますって。面白かったら買いますから、ゆき」
 にこやかに笑みを交わし合うふたり。
「まじめだね、きみ!」
 きみ、かあ……。しかしゆきは客と店員の関係では、段々と物足りなくなっていった。

 互いに一目惚れしたとはいえ、世間的には十歳の年令差があり、かつゆきはまだ中一。義夫とて、俺、ロリコンかなあ?などという、多少後ろめたい気持ちはある。そこら辺からどちらかと言うと、義夫は消極的。そんな彼の心情を察してか、或る日ゆきの方から思い切って、自分の名前を伝えてみた。
「わたし、斉藤ゆき、って言います」
「あっ、斉藤さん!教えてくれて、ありがとう」
「ゆき、って呼んでもいいよ」
 なかなか積極的なゆきである。が義夫はかぶりを振って……。
「そんな訳にはいかないよ。じゃ、ゆきちゃん、でいいかな?どんな字書くの、ゆきって?」
「平仮名で、ゆき!」
 こうなれば義夫とて、名乗らない訳にはいかない。
「へえ、かわいいね。俺は三上、三上義夫」
「三上よしおさん?」
「うん。義夫の字はね」
「うん、どんな字ですか?」
 義夫は一呼吸置いて答えた。
「多分、知らないと思うけど……」
「はい」
「古い話になるけど昔、西暦一九六〇年だか一九七〇年代にさ、日本ではフォークソングっていうのがブームだったの。フォークソング」
「ええっ?うん」
 ゆきは勿論祖父の保雄によって、その辺には通じている。
「で、その中にさ、『サルビアの花』って言う俺の大好きな、名曲があってね」
「ええっ?うんうん」
 ゆきは吃驚!つぶらなふたつの瞳を、輝かせずにはいられなかった。何という偶然、何という巡り合わせではあるまいか!いきなり義夫の口から、その歌の名が飛び出すなんて……。全く予想もしなかった展開。従ってゆきが興奮しない訳がなかった。矢張り義夫とは、運命的な出会いだったのだ!改めてゆきはそう思った。しかしここは大人しく、義夫の話に耳を傾けねば……。
「その曲を作った人が『早川義夫』って人なんだけど。その人の『義夫』って字とおんなじ。分かるかな?」
 行き成りこんな話をした所で、当然彼女に通じる筈がない。そもそも年代が全然違うだろ!もう一世紀以上も前の、遠い過去のお話なんだから……。義夫は内心己の愚かさを苦笑しながら、頭掻き掻き詫びた。
「ごめん、ごめん。分かる訳ないよね?アホだなあ、俺って……」
 ところがゆきは待ってましたとばかりに、大きくかぶりを振った。そこで今度は、義夫の方が驚いた。いよいよゆきのお喋りの番である。ゆきは興奮を抑えつつ義夫に告げた、満面の笑みを浮かべながら。
「知ってる、知ってる。ゆき、知ってるよ!」
「えっ、まじで?」
「ほんと、ほんと。大丈夫!ゆき、その歌知ってるから。だってゆき、だーい好きだもん、その歌」
「えっ、ほんと?冗談じゃなくて?」
「勿論『早川義夫』だって、知ってるよん」
「そうなんだ!でも何で?」
「だってね……」
 一呼吸置いて、ゆきは続けた。
「フォークソング、ゆきのおじいちゃんが大好きだったの。ゆき、おじいちゃんから、教えてもらったんだ」
「そうだったんだ」
 改めて見つめ合うふたり。
 こうして二十三歳の青年義夫と、まだ十三歳の中学生ゆきは『サルビアの花』というひとつの歌によって、心の絆を固く結び合った。そして年の差を越えた運命的な恋へと、落ちてゆくのであった。

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