【9分落語】死なずの旦那
ある日のこと、商家の旦那が番頭を呼んでこう言います。
番頭「旦那様、お呼びでございますか」
旦那「うむ。お前は実に仕事が出来る」
番頭「ありがとうございます」
旦那「うちの店の繁盛はお前あってこそじゃ」
番頭「滅相もございません。旦那様のお手並みでございます」
旦那「そこでじゃ、わしの最後の頼みを聞いてくれ」
番頭「えっ!まさか私にこの店を継げと…!ありがたい話でございますが、手前にはまだまだ荷が重うございます。えっ!それでも是非にと?…それならば私、身命を賭して…」
旦那「誰がそんなことを言った。勝手に先走るのがお前の悪い癖じゃ」
番頭「失礼致しました。では、頼みとは何でございましょう?」
旦那「うむ。わしも年を取って身体が弱ってきたが、ある時ふと思うた。わしは、死にとうない」
番頭「…えっ?」
旦那「わしは死にとうない。どうしたらよいかの?」
番頭「いや…旦那様、人には寿命がありますので」
旦那「そこを何とかしてほしい。わしは死にとうない」
番頭「いや…それは…さすがに無理かと」
旦那「わしは死にとうない」
番頭「さすがに無理かと」
旦那「わしは死にとうない」
番頭「さすがに無理かと」
こういうのを将棋で「千日手」と言います。本当にこのやり取りが一年中続いたもんだから番頭さんも困り果てまして。
番頭「旦那様、東方には不老不死の霊薬があると聞きます。私、それを探しに言ってまいります」
旦那「うむ。わしは死にとうない。頼む。金はいくらでも持っていけ」
てな感じで番頭さんは店を出るわけですがこんなものは嘘っぱちでございましてね、日本の東には太平洋しか無いんですから。番頭さんは貰ったお金を持って逐電したわけでございます。そうこうしているうちに旦那もさらに身体が弱ってまいりまして。
おかみ「ちょっとあなた、起きてくださいますか?」
旦那「うむ。わしは死にとうない」
おかみ「番頭さんの役目があたしに回ってきたのよね…」
旦那「わしは死にとうない」
おかみ「あのね、今日はそのことで、偉いお坊さんを連れてきたの」
坊主「是非、拙僧の話をお聞きくだされ。そもそも仏道において死とは恐るるものにあらず涅槃において…」
旦那「わしは死にとうない」
坊主「…なるほど、圧が強うございますな」
おかみ「そうなのよ。これで番頭も出て行っちゃったの」
旦那「あれには悪いことをした。けれどもわしは、死にとうない」
坊主「ではこうなされてはいかがか。仏道には即身成仏というものがございます。これは生死の境を超えこの世に留まる方法にございます」
旦那「どのようにするのじゃ?」
坊主「まずは身を清めるために米や麦などの五穀を断ちます」
旦那「断ちとうない」
坊主「最後までお聞きくだされ…。その後には命をつなぐため主に木の皮などを食べます」
旦那「食べとうない」
坊主「最後までお聞きくだされ…。また身体の水気を取るために漆の茶を飲みます」
旦那「飲みとうない」
坊主「最後までお聞きくだされ…。このような厳しい修行を三千日続けることにより生きながら仏となって現世に留まり続けることができまする」
旦那「やりとうない。それではやっぱり木乃伊になって死んでおるではないか。わしは死にとうない」
坊主「弱りましたな…。では唐天竺より遥か西の国では魂を呼び戻す術がございます。拙僧はそれを心得ております故、旦那様がもしもお亡くなりになったら、その術で魂を戻し、蘇らせまする。いかがでしょう?」
旦那「それしかない?」
坊主「それしかございませぬ」
とまあ坊主は言うわけですがこんなものは嘘っぱちでございましてね。そんな術あるわけないんですから。でもこれを聞いて旦那もある程度安心したのか、そのままコロっと逝ってしまいました。
逝ったら逝ったで大変ですよ。なんたって「魂が戻るまで自分を床の間に置け」って遺言で皆に伝えてある。仕方ないってんでお金をかけて職人を呼んで、中身を全部取っちゃって、旦那を木乃伊にいたします。
おかみ「ねえちょっとあれ、どうにかならないのかね」
新番頭「へえ、なんでございましょう」
おかみ「うちの人の木乃伊だよ。あれ、気味が悪くてしょうがないよ」
新番頭「でもまあ、御遺言でございますんであの通りに…」
おかみ「座敷に木乃伊置いとく商家がどこにあるんだよ…。先日も田町の隠居さんにお茶を出そうと座敷へ案内したら木乃伊見てひっくり返って、危うく躯が二つになるところだったじゃないか…」
新番頭「はあ、左様でございましたなあ…」
おかみ「せめてあんな骨と皮ばかりの姿じゃなく、もう少し生きてるような見栄えがすればいいのにねえ」
新番頭「では阿波の人形師に頼んでみてはいかがでしょう?」
てなわけで人形師の手によって木乃伊に木を継いで、目を入れて、口にほんのり紅を差す。すると見事なもんでね、キリッと口を結んで目を吊り上げた、生きてる時よりも男前な旦那の木乃伊が出来上がったから大したものでございます。
そんなある晩のこと、店の裏手に人影が一つ。誰かと思えばあの出て行った番頭。手に何やら風呂敷包を携えて、そっと裏口から忍び込みます。
番頭「(行灯を持ち)たしかここをこう通って…。ああ、着いた着いた。懐かしいな。この座敷でよく旦那様と問答したもんだ。どうかこの元番頭にも、線香だけあげさせておくんなさいませ。…仏壇がどこかにあるはずなんだが」
旦那の木乃伊「(行灯に照らされ)……」
番頭「ぎゃっ!だ、だ、旦那様じゃあございませんか!」
旦那の木乃伊「……」
番頭「風の噂でお亡くなりになったと聞いて、お線香だけでもと無礼ながら忍び込んだんでございますけれども、生きておられたんですな…!」
旦那の木乃伊「……」
番頭「(行灯を掲げ)しかもまあ、なんだかお肌のツヤも良くおなりになられて…。若返ったようでございますよ旦那様。何処かより本当に若返りの薬でも手に入れられたのですか?」
旦那の木乃伊「……」
番頭「あ、いや、お怒りはご尤もでございます。霊薬を探すとうそぶいて、逐電したのはこの私。この通り、持ち逃げしたお金もそっくりお返しに上がりました。どうか一つ、お許しを…」
旦那の木乃伊「……」
番頭「許さないと仰るんですね!お前のような恩知らずとは口もききたくない、川に身を投げて死んでしまえと、こう仰るのですね!」
旦那の木乃伊「……」
番頭「瞬きもせずに私を睨み続けて…嗚呼そのお顔つきのなんとも冷たきこと!相分かりました、これにて今生の別れでございます!あ痛っ!」
おかみ「(箒で番頭の頭を叩いて)…なんだい、お前は、盗人と思ったら、先代の番頭かい?」
番頭「嗚呼、おかみさん、お久しゅうございます!」
おかみ「なにをやってるんだいあんたは?」
番頭「今しがた旦那様にお詫び申し上げた所、決して許さぬお前なんぞは地獄へ落ちろとの無慈悲なお言葉を」
おかみ「お言葉ってあんた、そりゃうちの人の木乃伊だよ」
番頭「ええっ!木乃伊!嗚呼、道理で、血も涙もない」
(終)
【青乃家の一言】
制限時間10分の「社会人落語日本一決定戦」でも使えるように、9分くらいの落語を意識して書いていくシリーズです。改変OKですので、利用の際にはコメント欄やXでお知らせいただければと思います。