そして音楽は消えた。僕は、思考する。僕は走り続ける。RUN!RUN!RUN!
前の記事で宣言したとおり、
ランニングについて書く。
ランニング中に「木村拓哉から読み解く純文学のすゝめ」というフレーズが浮かんだ。いいタイトルだと思ったし、なによりいい傾向だと思った。参考までに貼っておく。
そして僕はここで、いかに物書きにとってランニングが有益であるのかということについて、徒然話をしてみる。
今日も、インプットはなし、自由だ。
ただ頭の中にあるものをアウトプットするだけにすぎない。
そうだ、
今日も書かないでおこうと思ったけど、「書かない」ということをやめた。
たぶん、僕にとって書くという作業は、ひとつの療養として機能していると思うからだ。
やばい、なんか春樹っぽいなww
そもそも気分がのらない原因は、昨日が月曜日で、そして雨が降ったからだ。そんなダブルパンチをくらったんじゃ、やれないよね。さすがにそんな状況下では書けなかった。でも、今日は火曜日で、なんといっても晴れだ。だから書く(実のところ、昨日の夜にさらっと書いた。で、今それをさらっと確認して公開するという話にしか、結局はすぎない)、という話だ。
突然ですが
読書の時、音楽は聞きますか?
(「聴く」と「聞く」がありますが、「聞く」で統一します。いかんせん、どうしたって身を入れて音楽を聴くという話はしないからだ。今日のところは脇役なので、「聞く」で統一する)
僕は、聞きません。というか、聞けないんですよね。ただ、あまりにも周りがうるさかったりしたら、クラシックなんか聞きます。ですが歌詞があるのはまず無理っす。
だけど、ランニングの時は聞くんですよ。なんなら意図的に。
まあ珍しいことじゃないですよね。
僕的に、ランニングって、考え事をするのにも、最適だと考えるわけです。
ランニング中に考え事をしている時って、気がつけば音楽が消えていますよね。そんな経験はありませんか?(というか夢中になっている時全般、周りの雑踏なんかも聞こえない。最近ではゾーンなんていう言葉がそうですかね)もちろん、ちゃんと音は鳴っていると思いますよ、そして当然誰かが歌っていると思いますよ、でも、悪いんだけど、聞こえないんですよ。そんな時、僕は深く思考しています。という話です。
でもね、考え事の切れ目みたいな時に、ふわっと湧いてきます。いったいどこに隠れていたのって思うくらい、また流れるんです。
で、僕は「あっ、おかえりなさい」って思うわけです笑
ランニング・音楽を聞く・考え事
この3つは一緒にできないのか?
違う。
脳のキャパオーバーが、音を消すのです。違う言い方をすれば、どこかへ押しやります。このことについて話します。
たしかに、本を読んでいる時も、がっつり潜れれば、おのずと音は消える。
でもね、ちょっとムズイんですよね。僕には、どうしたって誰かの声が主張してきます笑
ここで分析しますね。
ランニングは、身体を
音楽と考え事は、脳を
使っています。
そんなことは知っています。そうなんですが、ここからが僕の考察です。
ながらランニングは可能です。たとえば音楽を聞くこと、考えること。
でもね、極論、座席はひとつだ。どちらかしかできないと思っている。
走ることに身体は忙しい、
でも脳は特段使っていない。
使っていない脳は、音楽を聞く。
ここで、脳に仕事を、そう「何かを考える」ということをさせる。この時、読書の時と同様に、音楽が邪魔なんですよね。でも、意図的に考えるということに専念する。そうすると、聞いている音楽を押しやってでもしてしまわいことにはできない。そうだ、深く潜る、深く考える、没頭するように考えることをしないことには、とにかく音楽が邪魔で、できそうにない。
分かりますかね。状況を作っているんです。あえて音楽を聞き、押しやる、音楽の無駄遣いだなんて、洒落たツッコミはなしですよ笑
続きますよ。
これね、座ってたらたぶんできない。音楽に勝てないと思います。
なんたってこちとら走っている。色々と忙しいんですよw
半ば強制的に状況を作っているんです。結果、深い思考ができる。
自己分析みたいで、なんか嫌だな汗
たとえば
30分走ると決める。まあ5キロぐらい走るわけですよ。
これは決めですよ。これは、枠。これは別になくてもOK
で、身体的運動(強制的)と思考を邪魔する音楽が状況。
結果、深い思考ができる。繰り返しですねw
演繹というより、帰納的に話しているかもしれませんが、しかし、物書きのランナーさんには共感できるのではないでしょうか。
これ、ランニングは○で、
自転車は△、自動車は×です。
たぶん深く考える時は、
無心、ぼーっとしています。
要は、△と×は、シンプルに危ないんですよね笑
自動車の場合は、まず音楽が勝ちます。さすがに運転中に無想の境地にたっすると、それは危険です。まあ、本能かもしれませんねww
ということから、ランニング中における考え事は、それは音楽を垂れ流した上で、意図的に、ある枠の中で、作られた状況により、考えるということの一心に、かなり没頭できると思う訳です。
・・・乱暴?笑 にしても酷い文章だw
別に、音楽がなくても成立する?
いやいや、それじゃあ深い思考はできませんよ。
・・・ほんとうか?汗
ちなみに僕は、ランニングマシンってやつは苦手で、というか好まない。
たぶん、風が感じれないからだ。走り屋みたいなことを言ってしまった。
聞いてないかww
・・・・・・
嘘をついたのかもしれない。
結局のところ、僕は無心になりたかった。そう言えば、冒頭の「木村拓哉~」だって、ふと浮かんだものだった。ゼロから1の時は、無心が必要だと思う。もちろん、何かのアイデアなんかについての1を100にする過程においては、やはりランニングはとても有益だと思う。
で、結局のところランニングもいいが、ゼロ1の作業に最も適しているのは、座禅だ。・・・なんだそのオチは!?
まあ、とは言ったって素人さんには簡単に座禅、精神統一なんてようようできはしないよね。なら、ランニングくらいが丁度いいんじゃない。
という話。
色々話したけど、それを確認するためにも、今日は走ろう。なんたって昨日は雨で走れなかったんだ。そう思ったら、走るのが楽しみになってきた。
走るまでに1がなければ、それでもいい。
むしろ価値があるのはゼロ1の方だ。何か浮かべばいい。
(僕は、ここで短いSFを書きたい。もちろん、違うものでもいい。とにかくその1という種を探している)
とにかく今日は、いい天気だ。救われる。ランニング日和だ。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
また次の記事も読んでくれたら嬉しい(過去記事も)。それでは。
・・・・・・
実験的だが、いっぱいタグをつけてみる。とにかく色々とやってみたくなる今日この頃ww
そしてやるからには、これでもかっていうくらいやってやった笑
とにかくありがとう。いつもありがとう。また明日