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掌編小説 | 罵倒教室

「名前はルイといいます。30代前半の男性、会社員です。会話の中では、家庭環境のこと、両親のことには触れないでください」

 こんな風に自らを紹介した男は、一週間限定で私の講師となった。
 心の穴を埋めたい私が選んだのは「罵倒教室」。講師はアイコンを見る限り、紹介どおりの年齢の男性に見えるが、文字のやり取りだけで真実を判断することは不可能だ。
 土曜から始まった罵倒教室は、最終日を迎える今日、対面で行われる。この最終試験をパスしたからといって何か肩書が付くわけではない。ただ人を罵倒したことがある側の人間になったというだけのことだ。

 四ツ谷駅で降りると、そのまま雑居ビル街を歩いた。
私が普段生息するカテゴリーは【OL・未婚・彼氏なし・実家暮らし】が主で、これ以上でもこれ以下でもない。そして私は、これ以上もこれ以下も知らずにただ生きていくことに、日々苛立っていた。
 結婚、妊娠、浮気に不倫。私より上だか下だかわからない女たちが喜々として話す話題には一つもついていけない。何か特別な経験は無いものか。周りの女たちより頭一つ抜きん出る何か。そうは思っても、大掛かりなものには恐怖心から近づくことが出来ない。
 そんな時、SNSで「罵倒してくれませんか。初心者にも丁寧に教えます」のメッセージを見つけた。こっそりダイレクトメールを送った。
匿名が可能なSNSでは少しだけ気が大きくなることは誰もが経験することだろう。個人を特定されない分、危うくなったら逃げ方はいくらでもある。そして逃げるときに荷物を纏めて走る必要もない。
 メールの返事はすぐに返ってきた。その人の打つメールは至ってまともで、淡々と主旨を説明するあたり好感が持てた。幾度かメールのやり取りを経て、これからの一週間は互いの都合の良いときにメッセージのみのやり取りを交わすことに決まった。料金は発生しない。ただし、最終日だけは直接会って、生の声で罵倒をすることが条件だった。
 私は迷わなかった。私は、ルイという人を罵倒することにした。

 指定されたビルはすぐに見つかった。裏通りで、人の通りは少ないが怪しい雰囲気は無い。
 約束の時間までは10分ある。私は飲み物を買い忘れたことに気付き、近くの自動販売機でお茶を買った。冷たいお茶を飲んでひと心地つきたかったが、私の心臓は緊張から激しく鳴っていて、飲んでも飲んでも喉が渇いた。
 この一週間、ルイの指導の元、文字の上では褒められるまでの罵倒話術を身につけた。だが対面となると、普段良く使う【ウケる、嗤う、ww、笑笑】などを実際に表情や仕草、声で表現しなければならない。
 演技しなければと焦っている自分は、つくづく罵倒を楽しめない人間なのだと思う。それでもこの一週間は、今まで他人から密かに自分に浴びせられているのではないかと疑っていた酷い台詞をルイにぶつけることで、少しすっきりもしていた。
いよいよ約束の時間が迫っていた。ルイの待つ部屋のドアの前に行き、深呼吸する。チャイムは鳴らさない、ドアを開けたらすぐに開始するよう言われている。もちろん初対面の恭しい挨拶なども交わしてはならない。

 ようやく決心が付き、ドアを開けた。
 初めてルイを見た。
 目が合ったルイは大きなビーズクッションを抱えて、床に座っていた。いわゆる“お姉さん座り”をしている。
私は予め用意しておいた台詞を、なるべく勢いをつけないよう意識しながらルイにぶつける。
「うわぁ、変態じゃん」
 そして笑ってみる。緊張で顔が引きつった。引きつっている顔をルイに見られないように、後ろを向いて荷物をゆっくりと床に下ろす。
 そして、改めて振り返りそのを見た。

 黒髪ロングヘアのウィッグにうさぎの付け耳。口元はマスクで覆っている。衣装は『カクヤスの殿堂』で調達したような安い素材で、ところどころ無理に露出するデザインだ。下半身はビーズクッションに隠されていて見えないが、生足が見えているので、おそらくミニスカートなのだろう。
 これまでにも私は、ルイのコスプレ姿の画像を見て、それについて罵倒するというお題をこなしてきている。そのときのことを思い出し、なるべく冷静にルイを観察した。
 私は近くにある椅子を引き寄せ、座ると足を組んだ。
「ねぇ、その服どこで買ったの?」嗤う。
「ピチピチ過ぎて、なんか厭らしいわ」嗤う。
「乳首透けてるよ?見てるこっちが恥ずかしいんだけど」嗤う。
「こんなんが趣味なの?てかてかしてて…やば。脇毛見えてるし」大笑い。
「下の服はどうなってるの?そのクッション、どけてみてよ」
 私がそう言うと、さっきから私を上目遣いで見ていた男のは、のろのろとビーズクッションをどけた。ぎょっとした。ミニスカートと予想していたが、ハイレグ姿のM字開脚を見せられてしまった。
「え……無理無理。なにそれ、どうしたいわけ?」笑えない。
「あー、もう……目が腐ったわ」笑えなくて、焦る。
「目ぇ腐ったよ、どうしてくれる?ルイ。ルイくーん。汚いお股でちゅねぇ」
 名を呼ぶこと、赤ちゃん言葉を使うことも必須事項だ。
「ねぇ、ルイ。さっきから股間が目に入るんだけど。それで我慢してるつもり?」
 股間を指摘されて興奮したのか、更に盛り上がるそれを直視するのがきつい。私は目が腐ったていで瞼を閉じた。
「その安っぽい素材のハイレグのせいで色々見えちゃってるからさあ……」嗤う。
「その姿、私以外の人に見せたことあんの?もちろん、私にだけだよね?」

 一体、私はいま何をやっているのだろう。台詞を吐きながら急に虚しくなり、本当に笑えてきた。こみ上げる。ルイはますます足を開く。
「ね、それ以外のポーズ見せてよ。もっと可愛いの、やってみ?」
 そう言うとルイはのそのそと立ち上がった。
「早くしてね」と声をかける。
 ルイはくるっと後ろを向いて壁に手をついた。お尻の布の一部に丸く穴が空いていて、尻の割れ目が見える。まさかと思ったが、不吉な予想は的中し、ルイは私に向けて尻を突き出した。思わず顔をそらす。
「うわ」小さく叫んだ私を、ルイは首だけこちらに向けて上目遣いに観察している。
「まじウケる。ほんとに変態だね。真っ黒じゃん」嗤えた。
「ねぇ、もうほんとウケるって、ルイ。どうしたいわけ?」
 このあとの台詞を考える、そろそろ終わりにしたい。

 講習中、私が唯一拒んだ言葉があった。ルイは「しね」という言葉を使ってほしいと言った。だけど私は、どうしてもそれを言いたくない。ルイは、名前を呼ばれて「しね」と言われたい、そうでないと心から満足出来ないのだという。私は本当に困った。相手が誰であろうと、どんなにこれが演技であろうとメッセージの文字であろうと、言いたくない。ルイはその時は諦めてくれたが、最終的には必ずそれを使うようにと言った。

「責任取ってよ、ルイ」
 私は緊張していた。一言、感情を込めずにそれ・・を言えばいい。だけどその言葉がどうしても出てこない。喉の奥が苦しくて涙が出てきた。
尻を突き出していたルイが正面を向き、ウィッグの毛先をいじりながら
「泣かれると萎える」と言ってくねくねしている。
「いや、あんたのせいだからね」すぐに言い返した。
ピチピチてかてか股間もりもりの変なバニーガール。さっきまで元気だった股の膨らみはすっかり無くなっていた。それを見て私は可笑しく思えてきた。
「ちょっとさぁ、小さくなってない?」心から嗤えた。
 私に嗤われて、ルイの目が輝いた。そして、腹の立つにゃんにゃんポーズを見せてくる。
「バニーのくせに、キモいってば。しね!」
 自然に出た。しかも笑いながら。ルイは喜んでぴょんぴょん跳ねた。
「まじ嗤うわ。調子乗りすぎでしょ。しね!」笑えた。大笑いだ。
 ルイも、ルイの股間も大喜びしている。すると突然、ルイの背中に大きな羽が生えた。
「えぇ!」
 私は驚いて声を失った。そんな私の様子は気にも留めず、ルイは上機嫌で窓を開けた。そして窓枠に飛び乗る。直後、大きな羽を広げて窓から飛び出した。
 私は驚き、狼狽えながらルイを追って窓に近づくと、恐る恐る下を見ようとした。が、すぐに頭を上に向ける。ルイは空にいた。気持ちよさそうに空を飛んでいる。
「ルイ!」
 呼んでも意味がなさそうな気はした。ルイはどこへ向かっているのか、ビル街の間をどんどん飛んで行ってしまった。

 部屋に一人、残された。
 ルイに「しね」と言った。ルイはそれを聞いて喜んでいた。
 最低で、言った方も言われた方も堕ちる言葉のはずなのに、ルイは羽を生やして空に舞った。
 罵倒教室はこれにて終了だ。私は何を経験し、何を得たのだろう。
「まぁ、いっか」
 なんでもいい。よくわからないが、がむしゃらだったこの一週間に私は満足していた。
 ルイにはありがとうを、言わない。
「きもいってば……」

 私はルイの飛んでいった空を見上げて、笑っていた。






[完]


#短編小説
#ファンタジー


「嗤う(わらう)」とは、「人を見下してあざけり笑う」という意味。 相手を馬鹿にして「フンっ」と鼻で嗤ったり、相手の失敗を見てニヤニヤ嗤いながら面白がっているというニュアンスがあります。 基本的に他人のことを馬鹿にしているというネガティブな意味合いを持つ言葉です。

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青豆ノノ
チップとデールの違いを知りません。

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