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掌編小説|アムール・デュ・ショコラ|シロクマ文芸部

 甘いものが流れてきたら、それ食べて帰ろうな。それで、いいよな。
 返事はない。今日はずっと無視されている。

 一緒にいる相手との関係が順調でも気まずくても、夜になれば腹は減るから回転寿司に入った。レストランと違って、一緒にメニューを選んだり、料理を待つ間の沈黙に耐えなくてすむ。
 弥生は席に座ってから一度もおれと目を合わせない。適当に流れてきた寿司の皿を掴んでは黙々と口に押し込んでいた。その一生懸命さは、早く皿を積み上げて、向かい合って座るおれとの間に壁でも作ろうとしているみたいだ。

 弥生の座っている席からは後ろを振り返らなければ流れてくる寿司を見ることができない。だけどそんな作業をするのも疎ましいのか、機嫌の悪い弥生は、真横にやってきた寿司をよく見ることもせずに引きとっていた。そんなふうに意地を張る姿はあほくさいけれど可愛い。だからおれは、ときどきは流れてくる順番を親切に知らせてやった。
「次、てりやきハンバーグ。その後ろ、軍艦。多分かっぱ」
 これに対しても弥生は無視を決め込んでいたが、「エンガワ」とおれが言ったときには明らかに捕獲の体勢に入ったのが面白かった。

 十皿食べ終えたところで弥生は小さなげっぷをした。それに気づいて、笑いをこらえた咳払いをしたのが気に食わなかったのか、弥生は「殺したろか」という目でおれを睨んだ。
「なあ、こわいわ。その目」
 そのとき、弥生から漏れたかすかな息の音を聞いた。はあ? と言ったような気がする。あるいはただのため息だったのかもしれない。

「もうお腹いっぱいやろ。次、甘いもん流れてきたら、それでしめよう」
 うんともすんとも言わない。弥生は二人の間に置かれたガリのケースを睨んだままだ。
「なんかさ、申し訳ないけど、ほんとになにに怒ってんのかわかんないんだけど。とりあえずごめん」
 弥生が刺すように睨んでいるガリのケースに向かって、今日何度目かの謝罪をした。光の屈折と同じように、ガリのケースを介して弥生の元へ届けと願いながら角度を探して謝ってみるも、虚しい。
「たぶんあれやな、あの、ほら。おふろカフェで着てた館内着がおばちゃんみたいって言ったことでしょ。ほんと、ごめん。全然悪気なく言った」
 弥生は瞬きもしない。
「それか、あれ? 昼間のおひつごはん屋で座敷に上がった時に足の匂い嗅がせたこと」
 固く結ばれていた弥生の口の端が五ミリほどあいた。その隙間から今にも火を吹きそうなイラついた表情をしている。
「あ。ジュースきたで。りんごジュース。ちっちゃ! なあ、とりあえず甘いもんきたからさ……」
 気まずさから逃げたくてジュースに手を伸ばした。おれのその手を、弥生は勢いよく叩いた。
「幼児用りんごジュースを締めにって。そんなやついるか」
 弥生は呟くように言った。叩かれた手が痛い。だけど嬉しかった。
「そか。なら次……。あ、早い。ハマチの後ろにきてるわ」
「なにが」
「メロン」
 弥生は首を振った。
「メロンなんて。特にこういう、安い回転寿司のメロンって、食べてみると全然甘くないときあるよ」
 甘いものの基準が細かい。何やねんそのこだわり。

 その後はしばらく待ってもデザートは流れてこなかった。その間、またしても無言になってしまった弥生に無視されることがしんどくて、立て続けに寿司の皿に手を伸ばした。その様子を見ていた弥生が呆れたように言った。
「サーモンばっかじゃん」
「おう。すきよ、サーモン」
 炙りサーモン、とろサーモン、サーモンアボカド。
 鼻で笑われた。だけどかすかに弥生の口元は緩んでいる。
「そうこうしてるうちに、きてるで。チーズケー──」
「食べたことない。だから甘いかどうかなんて知らない」
「どう考えても甘いよ」
 さあね、と弥生は肩をすくめた。チーズケーキはおれたちの横を通り過ぎて行った。

 サーモンしばりの追加三皿は、おれの胃袋になかなかな負担をかけていた。そろそろ本当に締めたくなっていたちょうどそのとき、運良くデザートらしきものが流れてくるのが見えた。
「きたわ。あれ、合格かも」
「なに」
「チョコレートケーキ」
 妙にゆっくりに感じる回転レーンのむこう、茶色いそれは運ばれてくる。

「チョコレートケーキといえばさ。あのケーキ思い出すわ。だいぶ下手くそで笑った。なんかスポンジとか膨らみきってなくて『しょぼ! かた!』みたいな。飾ってあるマーブルチョコもなんや相性悪かったし、今まで食べた中で一番サイテーなケーキ。あれ食べたん、ちょうど一年前の今日やったな」

 弥生が顔を上げた。動揺で瞳が揺れている。まっすぐにおれを見ているその目から、ぼろぼろと涙がこぼれだした。
「ひどい……そんなふうにいわなくたっていいじゃん! そんなに下手じゃなかったでしょ……いや、うそ。下手だったよ。だけど、心こもってたじゃん! 市販のものより劣るの、当たり前じゃん。初めてだったんだよ……私……」
 弥生の横を、チョコレートケーキが通り過ぎようとしていた。それに気づいて、弥生は涙も拭わずその皿を取ると、テーブルの上に乱暴に置いた。そうしていよいよ本腰を入れて泣き始めた。

「ごめん。なんや言い過ぎたかな……。って、おれ今日、何回謝ってんねん。でもさ、おれの素直な感想なんやし、別によくない? おれが作ったケーキのことなんだから」
「よくないよ」
 弥生はタオルハンカチで鼻を何度も抑えた。
「私の思い出、汚さないでよ」
 そう言うと、弥生はケーキの皿を押しておれによこした。
「おれが食べんの?」
 頷いている。
「弥生がおれにくれるってこと? このチョコケーキ」
 弥生は俯いて何も言わない。
「なあ、これさ。おれがちゃんと食べたら、やり直してくれる?」
 弥生は腕を組むと横を向いた。そして「そんな甘くないよ」と言うと、すっと立ち上がった。

 やっぱりだめか。せめて付き合った記念日に別れるのだけは勘弁してほしいと頼んで今日のデートにこぎつけたけど、今日別れようが明日別れようが、弥生には関係ないことなんだ。おれにとって弥生は、初めてバレンタインに手作りケーキを捧げて告白をした相手だった。そして今この瞬間も、おれは弥生のことを変わらず好きだ。

 そんな未練たらしいことを考えながらケーキを口に入れたら涙が出た。弥生に見られて恥ずかしいけど、もはやどうでもいい。
 おれの涙になんの反応も見せない弥生は、テーブルを見渡して「伝票は?」と言った。
「あほ。回転寿司は食べ終わったら店員が皿数えにくんねん。久々すぎてわすれたんか」
「ねえ。それ」
 弥生の低い声に、空気がひやりとした。弥生はコートを着たままもう一度席に座ると正面からおれを睨んだ。
「その『あほ』っていうのが嫌だって。やめてって。何回も言った。なのに全然直してくれないんじゃん。あんたのそういうとこが嫌なの。そこが嫌いなの!」
「うわあ、そこかあ」
 全然わからなかった。確かに言ってた、気がする。だけどそんなに怒ってたか? 本気で嫌がってるように見えなかったんだよ──とは言えない。

「ごめん。ごめんなさい。今度こそ本当に直します。だから、頼むから。ちょっと待って。せめて、店員呼んで皿数え終わるまでここにいてくんない?」
「待ったとしてそのあとは? 何? 割り勘してサヨナラ?」
「そういうことじゃなくてさあ」
 高島屋のアムール・デュ・ショコラで美味しいチョコ買ったんだよ。今年は不味いケーキじゃなくてそれ渡したいから。だから、頼むからもう少し待って。一年前のバレンタインにそうしたみたいに、弥生と手繋いで帰りたいんだよ。おれ、あほみたいに弥生が好きだからさあ。




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