掌編小説 | リリー
マキは機嫌がいい。それは誰が見ても明らかだった。中途半端に伸びた髪が肩にあたり、はねている。何度ブラシで撫で付けても直せない毛先の癖に、いつもなら苛立ちを見せるマキが、今日は鼻歌を歌っている。
ドレッサーの鏡越しにリリーと目が合うと、マキはくすくすと笑った。
「リリー。なんて顔。そんな冷めた目で見ないでよ」
マキは椅子から立ち上がり、リリーの横に座ると、彼女の髪を撫でた。
「今夜、あなたも一緒に来てくれるでしょう?彼も了承済みなの」
マキに手ぐしで髪をとかされながら、またか、とリリーは思う。私のことは放っておいてほしいのに。
「久々のイタリアン。楽しみね」
マキは嬉しそうだ。リリーは再びベッドに寝転び、誰にも聞こえるはずのないため息をついた。
マキはソラのことが好きだ。それは誰の目にも明らかだ。だけど……とリリーは思い出している。ソラの熱い呼気が、リリーの首すじに吹きかかるとき、なんとも落ち着かない気持ちになる。彼は悪い人ではない。マキを楽しませてくれて、いままで一度だってマキを悲しませたことがない。だから、尚更嫌なのだ。リリーはソラが自分を見つめるときの、甘ったるい二重まぶたを思った。
ソラは、わたしを欲しがっている。
ソラの職場に近い秋葉原のカフェに入った。マキはイタリアンだと言ったけれど、パスタもピザもあるメイドカフェだ。
「外人さんが多いんだね」とマキが言った。
なにをいまさら、とリリーは可笑しく思ったが、マキが普段より緊張している姿をいじらしく思い、意地悪を言う気にならなかった。
「そろそろ来ると思うんだけど……」
マキがそう言うやいなや、店のドアが開き、個性的なファッションに身を包んだソラが、笑顔で入ってきた。
ごめんごめん、と言いながら、馴染みの店員とハイタッチをしてこちらへ向かってくる。マキは満面の笑みだ。彼女はとても純粋で優しい、とリリーは思っている。リリーは、マキがいつも自分のことを、一番の親友だと思ってくれることが、とても嬉しい。
「リリーちゃんも。久しぶり!」
少し高めの声でソラが言った。リリーの手を揺らしながら、彼なりの挨拶をする。
和やかな食事だった。マキとソラ、二人が共通の推しについて語り合う姿をリリーは静かに見守っていた。
わたしはここにいる意味があるのだろうか。過去にはそんなふうに思ったこともある。だけど家に帰れば、必ず、マキはリリーを抱きしめて言うのだ。
「リリー。今日もありがとう。リリーが横にいてくれると落ち着くの。いつも通りの私でいられるのよ。リリー、本当に大好きよ」
わたしもよ、とリリーは思う。マキには幸せになってもらいたい。そのための協力は惜しまないつもりだ。
食事が済むと、マキは化粧ポーチを手にトイレに向かった。
「リリー、いい子でね」
頬を上気させたマキはいつもよりずっと可愛らしい声で言った。
マキが去っていくのを見送り、姿が見えなくなると、ソラはリリーに向き直り、手を伸ばした。
「相変わらず可愛い。だいすきだよ、リリーちゃん」
そう言って、リリーの髪を執拗に撫でる。リリーは感情を表すことなく、真っ直ぐに前を見ていた。
ソラがリリーの足を撫でた。誰かに見られないよう、人さし指の腹を滑らせる。リリーは何も言わなかった。
ソラはリリーを自分の近くに引き寄せると、リリーのスカートを持ち上げた。中を覗いて「あれ、履いてないの」と言った。
だって、とリリーは思う。
今日は時間がなかったのよ。
店の奥から、鮮やかな赤いリップと瞼にラメを付け足し、一層華やかになったマキが戻ってきた。
「仲良くしてたかしら」
マキはソラとリリーを交互に見る。マキが上目遣いで目をぱちくりさせると、ラメがキラキラと光った。
マキはバッグから小さな包みを取り出した。
それをソラの前に置くと、バレンタインだから、と言った。
マキは照れながら、もう少しだけソラに近づくように、包みを押した。
「えっ、いいの。嬉しいなあ」ソラは喜んでいる。
「リリーと選んだのよ」マキはリリーにウインクする。リリーはそんなマキを笑顔で見ていた。
「リリーちゃんも選んでくれたなんて、感激だなあ」
マキの真似をして、ソラもリリーにウインクをした。リリーはソラにウインクを返した。もとより、リリーの片目はいつだってウインクしているのだが。
リリーは心の中で呟いた。
ソラ、わたしはあなたを歓迎するわ。あなたがマキを大切にするならね。わたしはいつだってマキの幸せだけを願ってる。
わたしとマキはこれからもずっと一緒なの。だってわたしは、マキの大切な大切な、人形なんだもの。
[完]
山根さんの企画に参加させていただきます。
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