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エッセイ|令和の時代に飛脚がゆくよ。
一月十二日。
この日は待ちに待った文通相手のおじさんとの食事会の日だった。
それなのに──。
文通相手のおじさんと私は、三十年に渡り手紙を送り合う仲で、血縁関係にはない。ちなみに今月はおじさんの誕生月で、八十一歳になる。
一月九日の夜、喫茶店から出た私は、およそ八年ぶりに魔女の一撃をくらい、店の駐輪場で動けなくなった。外の気温は低く、体は冷えていくのにやたらと変な汗をかく。
自転車で来てしまったけれど、動けなければタクシーを呼ばなければならない。頭の中は高速で様々なことを考え始めた。
*
十代から腰痛持ちで、散々青春を手放してきた。これではいけないと、ようやく三十路をすぎてから甘えている自分に喝を入れ、お金と時間を、腰を良くするために使うことに決めた。それが功を奏し、ここ八年は無事だったのだ。それなのに。
ぎっくり腰マスターと言えるくらい、ぎっくり腰と密な関係を築いてきた私だから、最初の一撃でなんとなく察することが出来る。
「オヨソ 二時間デ ワタシハ ウゴケナクナル」
タイムリミットは二時間。
しばらく立ち尽くしたものの、少しずつ足を動かし、様子を探る。腰を反らないように気をつけて、電動自転車のパワーを最大限まで引き上げればなんとか帰れそうだった。
恐る恐る漕ぎ出して、どうにか家に着く。自転車のスタンドを立てるのに相当苦労しつつも家の中に入った。
家に入れば、すぐさま〝やらなければならないこと〟の最優先事項に取り掛かる。
お風呂は無理でも化粧は落とす。クレンジングウォーターで拭き取り、コンタクトを外した。だいぶ辛くはなってきているけれど、この時はまだ歩いてトイレに行けたし、歯もみがけた。
着ている服の、外側だけはどうしても変えたかった。これから何日も寝込むのだ。
もうこの時点では十分すぎるくらいわかっていた。
「コンカイノハ デカイゾ」
二十代後半で経験したぎっくり腰は、危険指数で言うとMAXだった。いまだにあの時の痛みをこえる出来事を経験していないし、思い出すだけで吐き気がする。
その時は初夏で、床に倒れて五日間動けなかった。風呂に入れないことにより頭はべとべと、トイレに行けないから仕方なく介護用オムツを用意してもらう始末。
このころは体の知識がなく、動かし方をまるで知らなかったので全てを腰に頼りきっていた。だから腰がダメになると寝返りもうてない。変な動作をしようものなら意識を失うすれすれの痛みに夜中にもかかわらず絶叫した。
当時は静岡にいて、やむなく東京の妹に応援を頼んで世話をしてもらいながら、無力さに泣いた。
*
こうして、予想した通り翌日から動けなくなった。それでも心の中の「武井壮」と相談しながら、全ての知識と知恵を総動員して、二時間もかかったけれどトイレに行くことができた。
途中、便座の高さまで登れない時間が長すぎて挫けそうになった時は「生きろ!!」と何度も自分に声をかけた。こんな恥ずかしすぎる格好(尻丸出し)でくたばってたまるか。
「生きろ」。これは本当に効果があるからピンチの際は自分に言ってみて欲しい。
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毎度のことだけど、ぎっくり腰をやって一日二日は自分のことで頭がいっぱいになる。と言いながらno+eを見たり投稿していたけれど、言ってみればこれは現実逃避であって、精神回復のための癒しなのだ。
そうして段階を経て現実に目を向ける。
「二日後に迫ったおじさんとの約束、どうしよう……!」
私とおじさんは筆で繋がっている。言葉のやり取りはすべて紙の上だけ。電波を使うことはない。
これは私とおじさんの流儀である。
だけどさすがにまずい。知人に頼んで速達を出してもらったところで、ちゃんと届くだろうか。もし、おじさんが気づかなかったら?
この寒空の下、いくら元気だとはいえ、八十をこえている人を待たせるわけにはいかない。そんなことを考え出してプチパニックになる。
するとそばにいた知人がある秘策を授けてくれた。
「飛脚を立てればいいじゃん」
とは言っていない。だけど結果的にそうなった。というのも、なんと知人(ともう一人の知人)が私の代わりにおじさんとの待ち合わせ場所に行ってもいいと申し出てくれた。
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こんなに有難いことはない(泣)
本来であれば知人らにひれ伏すところ。だけど、もうすでに最大限床に伏している私にはこれ以上は無理で、ただひたすら感謝を述べるばかりだった。
そんなこんなで一月十二日当日。知人二人は私の手紙(御祝儀とビール券込み)を持っておじさんに会いに行ってくれた。
ちなみに、知人たちは以前私と共におじさんに会ったことがあるから安心して任せられる。
おじさんは初めこそ驚いていたようだけど、知人たちとの中華ランチを楽しんでくれた。そのことは、翌日おじさんから届いた小包に添えられた手紙からも伝わってきた。
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送られてきた箱には、三種類のカレーがこれでもかと詰まっていた。
さらに翌日、今度は缶詰が届けられた。
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とてもありがたい。だけど、冷蔵品のハンバーグを普通郵便で送るのはやめてほしい。
冬場だから平気なのだろうか。よくわからない。
*
こうして、知人の協力のおかげでおじさんとの約束を無事に果たすことができた。心底ほっとした。
そういえば、おじさんが今回メインイベントにしていた「エメラルドのネックレス授与」だけれど、実を言うと事前に郵便で届けられていた。おじさんはとにかくせっかちなのだ。
今回、ネックレスをつけた姿を生で見せられなかったけれど、ちゃんと写真に収めて、知人を介し、おじさんに見せることができた。
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ネックレスは可愛くてとっても嬉しかった。だけどおじさんはネックレスと一緒に、どうしてか領収書まで送ってきた。そういう、非モテなことをやってしまうところも、おじさんの堅実さの表れなので良しとしておく。
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年をまたいでしまったけれど、私とおじさんのメモリアルイヤーの記録は、これにて完結。
いつかこの一年のことを懐かしく読み返す時がくるだろうか。わからない。
知人の話によれば、おじさんはかくしゃくとしてあと十年は今のまま元気に過ごしていそう、ということだった。私ももう一度気を引き締めて、おじさんに続かなければ。ぎっくり腰なんかで寝ている場合じゃない。