シネマタクシー (ショートストーリー)
シネマタクシーはいつだって、私のような人間を探している。私のように、中途半端な物語を生きている人間を。
シネマタクシーは見つけたい。ラストシーンを探して彷徨う魂を。
だからきっと、この夜の街を走っている。
右も、左も。辺りは真っ暗な闇だ。
本当のことを言うと、真っ暗な闇なんて存在しない。どこもかしこも必要以上に明るくて、昼と夜の境は曖昧だ。
だけどその、一つ一つの明かりを消し去ることができるのだ。私には。
本当の闇を知っている人間には、それを想像することができるから。
だから私は、この世界を真っ暗にする。
私が作りだした暗闇の中を、遠くから近づいてくる一点の光は、私が永く待ち焦がれたシネマタクシーなのだろう。私は、それが本物であるかどうか確かめる術を持たないから、心細い気持ちで、低く手を挙げる。
目を閉じて、じっと待つ。
どうか、どうか私を見つけて、と願った。
やがて薄いまぶたの裏に、目を開けるのが恐ろしいほどの明かりを感じ始めた。
それは、音もたてずに私の前に止まった。
目を開ければ、そこにはシネマタクシーがある。
「どうぞ」という代わりに、好意的な速度で後部座席のドアが開く。
右足からそっと、体を滑らせるようにして座席に腰をおろした。
私が座ると同時に、何も言わずにタクシーは走り出した。街灯も道すらもない暗闇を、タクシーは静かに速度をあげていく。
私の体が、ようやく座席の柔らかさに馴染んだ頃、前方に小さな、とても小さな光が見えてきた。それは、誰かの手元を照らす小さな光だった。
「どう、なさいますか」
運転席には形のない影があり、その影が私に問う。
私には答えようがない。全てを任せたくてタクシーを待ち焦がれていたのだ。
返事をしない私に構うことなく、やがてタクシーはその小さな光の前で止まった。
私はずっと前だけを見ていた。
硬い表情をして、眉をひそめて、息を潜めていた。
私の座席とは反対側のドアが開けられた。
それが好意的な開けられ方だったかどうかは、私にはわからない。
私の左側のドアから、そっと滑り込んでくる者の気配があった。受け止めきれないその気配の圧に、じっと耐える。
乗り込んできたのは、懐かしい香りと温度を纏った男で、彼が目印代わりに点けていたスマートフォンの光が、ぼうっと足元を照らした。
そしてその光はやがて消されて、再び闇に包まれた。
暗闇に、二人。
触れ合わないまま、息を潜める。
言葉が、欲しい。
あなたが置き去りにした私に、言葉をちょうだい。
置き捨てた私に、あなたの言葉を。
あなたの呼吸と私の呼吸が闇を揺らす。
互い違いだった呼吸の音は、いつしか重なっていた。そして私の手には、男の温もりが重ねられた。
言葉が、欲しい。
温もりで誤魔化してきたあなたから。
言葉を、聞かせて欲しいの。
あなたの呼吸が耳元に近づいて、吐き出された息は私の首筋をあたためた。
だけど私は諦めない。
何ひとつ諦められなくて、こんなにもあなたを探し求めたの。
諦めない。あなたの言葉を聞くまでは。
シネマタクシーはどこへ行くのだろう。
私たちの物語を見守りながら、どこへ向かっているのだろう。
私は暗闇の中で感じられる、熱を帯びたあなたの視線に怯えている。必死で耐え凌いでいる。
そして必ず、温もりとともにあなたの言葉が、私に届けられるのを、待っている。
[完]
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