「わからない」は恥ずかしい事じゃない
日本大会に向け、自分のヘアメイクリハーサルを軽く行った。イメージは湧いているのでベースをとにかくしっかりと作り上げようと思う。つけまつげもうまくつけられそうなので、きっとうまくいく。
「無くしてしまうかもしれないなぁ」と思っていたものがやはり見当たらず当日に慌ててしまうことになるところだった。落ち着いて、明日探してみて、一応替えの物も用意しておこう。
後遺症からきているのかわからない私の記憶障害は、なかなかに生活を脅かしていて、とにかく簡単にものを無くしてしまう。忘れてしまう。
メガネを1日に10回以上無くした。泣きながら探して、なんとかかんとか見つけ出した。そうしたら遠くにいる大好きな友人が心配してLINEをくれた。
友人はかわいいメガネチェーンをつけてみたらどう?と言ってくれた。検索してみると今時でかわいいものがたくさん見つかって、わくわくして、ひとつ買った。届いたのでつけているがなんだかおしゃれで、またチェーンをつけていることで無意識にどこかに引っ掛ける癖がついて、メガネを無くすことが無くなった。
自分ひとりではぐずぐずと解決できないことを繰り返していただけだったのに、優しい友人の一言がひとつ、解決に導いてくれた。
ランウェイの順番が発表され、偶数と奇数はこちらへとの指示があった。
私は、偶数と奇数がわからない。中日本の時もたしか前にいる方に教えてもらった記憶がある。
原因はおそらく共感覚で観える数字の人格、色、印象と
「偶数」「奇数」の漢字や響きから来る色や印象が一致しないこと。
いつまで経っても、何歳になっても偶数奇数はわからないままで、この言葉が出るとびくっとしてしまう。この歳になって「1は偶数ですか?」って聞くと、呆れられたり笑われてしまう。だからこっそり検索して調べているが、本当に、わからないのだ。
こういった人は私以外にもいるかもしれない、と思う。前に一度、手をぐーにしてぱーにして偶数奇数を覚える方法を聴いたことがあったな、忘れてしまったなあ。どこかに書き留めておいて、私以外の人がわからなかったら伝えてあげたいなと思う。
「わからない」は恥ずかしい事じゃない。
数字が苦手な人、共感覚が要因で色々なことを避けてしまう人、文章を読むことが出来ない人。脳の処理がおいつかず、わからないになってしまうことは口に出して恥ずかしい事ではない。
自分だけでなく、お子さんが「わからない」と言っても、それはただのその子の特性であり苦手なところであり、大人はそこをサポートする側に回ってあげればいいだけだ。
出来ない人がいたら、出来る人がやればいい。
何も恥ずかしくない、これは綺麗事ではなく、人は助け合うべきなのだ。
私がメガネを無くすと困っていたら、チェーンを買ってみるのはどうとアイデアを友人がくれたのも「出来なくて困っている人」を「出来る人」が助けてくれたいい例だ。
そして、大人の役割は、子供を守ることだ。私はそう考える。いや私だけでなく、以前にも書いたがたくさんの人がそう考えて動いて様々なサポートをすでにしている方々が大勢いる。
共感覚の枠を超え、福祉の世界をもっと深く知り、伝えられる、助けられる人間になろう。
それが私の目指す先だ。
山口葵
文章を楽しく書いている中で、 いただくサポートは大変励みとなっております。 いただいたサポートは今後の創作活動への活動費等として 使わせていただこうかと思っています。 皆さま本当に感謝いたします。