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人生の優先順位

くたびれてゴロゴロ過ごした日曜。
週明けもまだだるさが残りつつも、ぼちぼち起きて掃除洗濯、朝昼のご飯作り、事務仕事、ママ友から勧められて買った無農薬野菜セットの調理、娘と宿題提出、税金支払い、駐輪場に置きっぱなしの自転車回収など、こまごました日々の営みをしている内に徐々に上向いて行った。やっぱり手を動かすのは大事だな。

そんな時に職場の人から、退職すると聞きましたとメールが届いた。懐かしい思い出や近況報告も書かれた温かいメッセージだった。
正確には元職場の人で数年前に既に退職してるのだけれど、オンラインの寄せ書きが回ってきて私の退職を知ったらしい。こないだランチに行った上司が寄せ書きの呼びかけをしてくれてるとのこと。休職のまま退職しちゃうから寄せ書きもらえないな〜と悲しかったので、嬉しかった。
9年も働いたけれど親しかった人はほぼ全員既に退職してしまったので、気を利かせた上司が退職者にまで寄せ書きを回してくれたのもありがたい。

それにしてもなんでこんなに長く在籍したのだろう!振り返ると中学時代のテニス部も、1年生の時はものすごい人数だったのに、2年生になったら本気の人以外皆辞めてしまい、何となく残ってしまった運動神経の悪い私はとても辛かった。結局半年くらいかな、遅れてやめたけど。
高校時代に若気の至りで旗揚げ期の劇団に入った時も、若い座長とシニアなアドバイザーの方向性の違いというよくある理由によりメンバー間の対立が激しくなり皆辞めていく中、これまた大した理由もなくなんとなく残ってしまい、苦労したことも思い出した。これも結局旗揚げを待たずにやめたけど。
きっと私はやめることが苦手なのだろう。
さすがに年も重ねたので、辞めたいほどでなくても、違和感を感じたりモヤっとしたらもっと早くやめてもいいだろうなと、何かをやめたり区切りをつけることの大切さを感じる。

長く働く中で色んな葛藤があったけれど、冷静に振り返ると、創業期でベンチャー的になんでも自分達でやる、めちゃめちゃ大変だけれど裁量もあって好き勝手やれるのが楽しかった私たちから、徐々に規模が大きくなり、システム化したり制度をきちんと整えていくのが好きで得意な新しい優秀な人たちにメンバーが変わっていくのは自然なことで、どちらが良い悪いでなく、単純に時が流れて物事が移り変わり、それに伴う向き不向きや、相性みたいなことなんだろうなぁとも思ったりした。


数年間使ったスマートウォッチを新調した。
ベルトの劣化が激しく、ベルトだけネットで新しく買ったけれど、サイズが合わずブカブカでカッコ悪い。でも実は元々のベルトもブカブカだったし、時計自体もいかにもスマートウォッチです、という感じで味気ないので、機能だけでなくデザインが好きなものが欲しいなと思った。女性向きな、なるべく小ぶりでベルトがブカブカでなさそうなものを探し、数週間吟味してこれだと思うものを買った。
買ったその日に突然「定額減税補足給付金」という書類が出てきて、あれこれなんだっけ、1万円給付されるのか、申請したんだっけ?と確認すると申請してなかったので申請した。夏に届いた書類だけれど申請締切は10月末と駆け込みセーフ。おかげで時計代がチャラになった。最近こういうことが多くて嬉しい。


たくさん届いた無農薬野菜を鮮度が落ちないうちに処理しないと〜と毎日せっせと調理した。簡単なレシピ付きで、迷わずサクサク作れてありがたくそして美味しかった。
水菜は生か塩揉みで色んなものに入れまくり、赤かぶは漬物、葉大根は細かく切って炒めて醤油みりん砂糖とゴマと鰹節でふりかけに、春菊は鍋に入れ、小松菜はお浸しに、さつまいもは焼き芋にした。残るは里芋、ピーマン、ヤーコンだけだ。
私は野菜が大好物だけれど、娘は野菜が全然食べれないのでなんとなく後回しにしちゃいがちだけれど、野菜をもりもり食べると私のクオリティオブライフは爆上がりし、幸せ。


引き続き娘の学校に付き添っているけれど、娘の成長が著しく、最近はほとんど出番がない。なので帰りたいのだけれど、帰らないで!!とせがまれるので、ひたすらに廊下で待機している。学生時代にしていたカラオケバイト並みに暇だ。スヌーピーのライナスの毛布よろしくただの安心材料でしかない。暇すぎるので、その後もばななさんのエッセイを読んでいる。今日は仕事に関するエッセイが胸に響いた。

とにかくそういうふうに気が紛れるのが仕事というものだ。
人生の最重要事項でもなく、かといって手を抜くことも決してせず、区切りが来たらビールでも飲むか、と思いながら、あるときは滑らかに、あるときは行き詰まり、ただひたすらにこつこつ進めていくものだ。
仕事は人生に伴走してくれる友だちであり、なによりも自分以外の人のためにだけするものだ。お金は重要ではない。仕事をしている自分を見て、だれかが励まされる。自分が与えた影響がだんだん波みたいに伝わって、遠くできれいに揺れているのを見るためだけにするものだ。

吉本ばなな「人生の旅をゆく 3 仕事って」より

心底そうだな〜と思った。しかし私は仕事をしていると、仕事に集中しすぎてしまい、これくらいはやらねばと行き過ぎた責任感で自分を追い込み、そのうちに「仕事=人生の最重要事項」のような錯覚を起こしてしまい、もっと大事であろう自分自身の健康、家族や友人、その他の人生の楽しみを疎かにしてしまいがちだ。最近退職してようやく、仕事は人生の最重要事項ではないと再認識できたのは本当に良い機会だった。
「なによりも自分以外の人のためにだけするものだ」というのも、気を抜くとすぐに自分のこだわりが顔を覗かせ、自分のために働いてしまいがちな私にはとても響いた。

先日のYUANAさんの鑑定でも「もっともっとと高みを目指すが、ちょっとづつ上がる練習をしよう。」と書かれていた通り、常に全力投球してしまいペース配分が疎かになりがちな私には、「自分が与えた影響がだんだん波みたいに伝わって、遠くできれいに揺れているのを見るため」のような俯瞰した穏やかな心持ちを忘れずにいる事も、とても大事だと感じた。

「夕方に一杯飲んでおいしい何かをつまむために生きていて何が悪い」というのが私の人生観です。
人生は毎日一回夜死んで朝生まれるくらいにはかないものなのだから、太陽が去っていくときをちゃんと祝わなくてはと思う。
大声で言えなかったこの気持ちを言えるようになったのは、イタリアでの仕事が多くなってからだ。
ディナーの前の日暮れに毎日スプマンテを一杯だけ飲んでいるから私は長生きしているのと言っていた大金持ちの八十代のご婦人のキラキラ光る瞳。トスカーナの田舎町の美しい田園風景の中で日が傾くといきなりバールに集まりワインにブルスケッタを食べ出すおじいさんたち。カプリ島の崖っぷちのカフェで優雅にカクテルを飲みながらオリーブをつまみ風に吹かれるカップルたち。
(中略)
自分の一日の仕事は終わった、リセットして夜をはじめよう。わくわくしてあれこれプランを練って・・・・・・人生に恋をしてる、そんな甘い気持ち。
べろんべろんに深酒する必要なんかない。ただそのいっとき、何もかも忘れて一日の終わりを祝福し、楽しむ。
そういう時間が日本の人たちに必要なんじゃないかなと思う。
今日はこれでいいか、とりあえず軽く飲んで帰ろうか、いい夕方だね、なんだか楽しくなってきたね。そこにあるお酒と食べ物がなんであれ、心に栄養がしみわたる。それが大切なのだ。

吉本ばなな「人生の旅をゆく3 金色の時間」より

続いてこの話を読んで、こういう一見何気なくいようなことが、人生の小さな楽しみかつ最重要事項の一つだよなぁとしみじみ思った。

高校時代の素敵な女友達と大人になって久しぶりに会った話も良かった。

そういう自分のいいポイントをすみちゃんはよく知っているように思えた。でも、ちっとも媚びがない。正直で、でこぼこしていて、たいていひとりぼっちで、ロックが好きで、いつも歌を歌い踊っていて、人の頼みは断らない気のいい子だった。
高校生の頃って一人で行動するとみじめみたいな感じがあるけれど、すみちゃんはちっともそうではなかった。いつもボーイフレンドがいて、女とつるまない。さりとてヤンキーなわけでもない。すみちゃんは、常に自分自身だった。
(中略)
すみちゃんの中にあった自由な雰囲気、まっすぐな生き方、そこから生まれる不思議なセクシーさ、どれもがグレードアップしていた。
私は心のどこかで、サラリーマンと結婚して家庭に入ってお子さんをふたりもうけたんだから、きっと彼女は保守的に変わってしまっているに違いない、私がなにかすっとんきょうなことをしたり言ったりしても、許してはくれるけれど、心の中では裁いているかも、そうしたらどうしよう・・・・・・などと思っていた。
しかし、信号むしんごうの歌を歌いながら腕を大きく振っているすみちゃんの変わらない肩甲骨の出っ張りを見ていたら、私のほうがよほど保守的でおとなしくなってしまったなぁ、と思って、反省したくなった。
青春時代にその人の中にあったものは、今も必ずある。息をひそめているかもしれないけれど、出番を待ってうずうずしているのだ。

吉本ばなな「人生の旅をゆく3 今日も彼女は」

若い頃、社会に出て仕事をする中で保守的になったり、育児との両立で精神的に余裕がなかった頃、幼馴染や親友など大事な友達に、心無い一言を言ってしまった時の胸の痛みを思い返しながら、心の自由さは他の何にも変え難い、かけがえのないものだと改めて感じた。
友人を心の中でを裁かずにいられる自分でいたい。人生の優先順位を間違えてはいけないなと最近しみじみ感じる。
またどえらく長文になってしまった。。

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