夢分析 ―創造的な退行と内的世界の体験― /「ユングと心理療法」 河合隼雄さん
河合隼雄さんの著書「ユングと心理療法 心理療法の本〈上〉」(講談社プラスアルファ文庫 1999)から、主にユングの心理療法に対する根本的な考え方と、ユングが重要視した「夢」の分析について紹介します。
まずは、「文庫版まえがき」から、世間のカウンセリングや心理療法への関心の高まりと、その実態の認識との解離に対する、河合隼雄さんの想いが綴られています。
「カウンセリングによる成功例をついつい書いてしまい、読者の中に『こんないいことを自分もやってみよう』と思う人が出てくるのも当然である――
しかし、実際の場面においては、困難で苦しいことも多く、よほどの訓練を経ていないとできるものではない。」とのこと。
さらに、このようにも述べています。
・自分の仕事を「何もしないことに全力を尽くす」などと言ったりしているが、内面的には相当に心をはたらかせているのである。
単に話を聞いているだけでは、進展しない。
・心理療法を実際に行っていると、近視眼的になり役立つ技術を身につけてと考えるが、本当のところ、そんな手軽な技術などあるはずはなく、人間の生き方について深く知るということが必要になってくる。
・本書を通じて、心理療法が生半可な知識や経験でできるものではないということがわかっていただけると幸いである。
手軽な技術はない、生半可な知識や経験ではできない――まさに、その通りなのでしょう。。ただ話を聴いているだけのように見えて、クライアントと、クライアントに対する自分の反応を常に分析している。
著書を読み進めていくと、このまえがきの言葉がよくわかります。別のある対談集では、「(クライアントの話に)あまりにも身を入れすぎて、こっちが胃潰瘍になったりすることが実際にありますわー」とも発言もされてますが。
おそらく心理療法に興味のある方は、河合さんの本を読まれたことがあると思いますが、
このユング派の主な心理療法、「夢分析」「箱庭療法」をどのように感じられたでしょうか――?
わたしは自分の高校時代の心身症的症状の経験から、一時期はユング派心理療法、特に「箱庭療法」の思春期における事例集などを夢中になって読み、とても優れた療法と感動しました。
その一方、同時に、「夢分析」「箱庭療法」を行う分析家の方は、なんて大変なのだろう――!と難しさに驚きました。
解説つきの事例を読むとなるほど~とも思えますが、実際の現場で、「夢」や「箱庭」に象徴される心象の意味を汲み取れるのか?と考えると、わたしには神業にも近く感じられ、正直、この技法を「してみたい」「できるようになりたい」とは思えませんでした。。。
このように感じたことが、河合さんのまえがきの文章を読んだ時に思い出したのです。
河合さんが取得されたユング派分析家資格(国際資格)は最難関といわれますが――納得です。。
河合さんの著書「未来への記憶―自伝の試み」〈上〉〈下〉(岩波新書)でも感じたことですが、並大抵の努力と勉強量ではない――この超人的?レベルの努力は全面に出ずに、どのような局面も乗り越えてご自身の糧や豊かなリソースとして活用され、未踏の偉業を成し遂げられたことからも、天才、あるいは天命に従って実直に生きた方という方が合っているのかもしれませんね。
この著書では、「夢分析」「箱庭療法」の事例を各章で挙げられているのですが、ここでは「夢分析」について取り上げたいと思います。
わたしにとって、このユング派の「夢分析」は、(箱庭療法とはまた違って)すごい!としか言いようがない技法であり、謎や疑問が多いが、神秘的で、潜在的可能性に満ちた領域と捉えられるものなのです。
河合さんも初めてユング派の分析を受けた時、相当抵抗されて「こんな非合理的な話をして何になるのか!」と何度も言い合ったそうですが、、
ユング研究所の教育分析の過程で、次第に「夢の話をしないと内容が浅くなる」、「夢の次元ががらっと変わってきた」とのこと――
分析を受けることにより、無意識の所産である「夢」が変わってくる、メッセージとして受け取れるようになる、ということなのでしょうか。
以下に、大まかにまとめてみました。(用語の説明は省いております)
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ユングがもっとも強調すること
ユングは、心理療法の基本は「治療者と患者の相互的人間関係にある」ことを第一に強調しました。治療者は、「一個の協同者として、個性発展の過程の中に患者とともに深く関与していくもの」とし、
そして、この過程は、患者自身の内にある潜在的な創造的可能性の発展の道に従うものであり、それを経験することがもっとも重要である、という。
<心理療法に対する基本的態度>
①患者と治療者の人間関係
②その関係における治療者の人格の重視
③患者についての潜在的創造性に対する信頼
④真の経験の重視
ユングの特徴としては②であり、ユングは治療場面において、治療者は自由にいきいきと行動することを重視した、といいます。
この点はとてもユニークであり、患者との社会的接触も特に禁じておらず、
事例でも適切な条件が揃えば、治療時間に患者と一緒に外出する行為もあり、非指示的な態度よりも自由に発言もされています。
これは、転移/逆転移を必要以上に恐れて治療者が背景に退いてしまうことなく、時には、治療の深まるポイントとして転移を避けることなく経験する、という現象のポジティブな方向性を重視するということ。
しかし、心理療法における転移/逆転移の現象はとても重要であり、深く考えると切りがないほど難しいとも述べられており、この著書では箱庭療法の章で掘り下げて考察されています。
そして、転移/逆転移という難しい現象を乗り切るためにも、まず教育分析を受けること(自分が患者として経験すること)が必要であり、この必要性を最初に提唱したのはユングでした。河合さんも非常に重視されており、それは、治療者自身が自分自身の心理的問題を多く未解決で抱えていたのでは、まったく動きが取れなくなってしまうからだ、といわれています。
意識と無意識の関係性と心の構造
ユングの特徴的な理論として、主に2つの定義が挙げられます。
①意識と無意識の相補的関係性
②心の構造―「集合的無意識」
ユングは、無意識とは意識(自我)を補償する作用を持ち、意識では対応できない困難な状況の場合でも、無意識がその状況を打破する反応を示し、意識を無意識が補う形で心の全体性を保つ働きを持つ、としています。
意識が一面化に向かうのに対して、無意識は均衡や調整を図り全体としてバランスを取ろうとする作用です。
また、その心の構造は意識と無意識から成り、意識の中心を「自我」、意識と無意識を含む心の全体の中心を「自己(self)」とし、
さらに、無意識層は個人的無意識の奥底に、人類が共有しているとする「集合的無意識」を定義し、ここに表現の基本的、普遍的な型となる「元型」(アーキタイプ)の概念を提唱しました。
個性化―自己実現の過程
前述した「自己」の概念は、ユング心理学の核心をなすものであり、
この自分の「自己」を経験し、実現させること、
多くの矛盾、対立的なものをより高次の統合性、全体性へと志向する働きとその過程を、「個性化の過程」まはた「自己実現の過程」と呼び、人間としての目的=心理療法における究極の目的としました。
この自己実現とは常に発展してやまない過程であり、「象徴的表現」によって示されるということです。ユングは、この自己の象徴的表現の研究をライフワークとして続けられました。
自己の中心は無意識に埋没しています。そして、無意識は補償的な象徴の生起を通じて、両者間に「橋渡し」をする働きがある。必然的に、この無意識の働きを把握できる「夢」の分析に重点が置かれたということです。
この著書では、自己実現の過程を詳しく述べられてませんが、「自己実現」と「自己の象徴的表現」はユング心理学の中核ですので、ご興味のある方は、ユング本人の著書や文献等がお勧めです。
夢分析 ―創造的な退行―
眠っている時は、自我のコントロールが弱まり、その弱まった時に意識されていないところが動く。眠りの状態でそれを意識に投影するのが「夢」。
その非常に断片化されたイメージや言葉が入り混じる夢の内容を、覚醒時に取り上げて意識化していくのが「夢分析」です。
また、夢分析を始めると、「夢を見るようになる」、「夢を覚えるようになる」そうです。意識と無意識は呼応していて、やはり自我の主体的な動きが大切ということですね。
ユングは、意識と無意識の相補性(=心の統合性の働き)の考えを基に、この夢に無意識の補償作用の内容が現れてくるとして、夢の分析こそ無意識への道をひらく最も重要な手法と重要視しました。(ただし、病態水準によっては補償的とは限らず、必ずその時の意識状態の確認が必要)
わたしは、夢分析の事例の見事な治療展開を読むと、ただ感心するばかりなのですが。。
夢で現れる心象の意味を捉えることができるのか――?
ユングは、夢自体を一つの現実として大切にし、夢の現象そのものに迫ろうとする。そのため、主題と思われる1つのモチーフを中心に連想していく「拡充法」を提唱した。これは1つの意味や解釈に固定しないためということです。
別の著書ですが、河合さんも、夢の分析で単純にわかったと決めることはダメなようで、患者さんが「わかりました!これは〇〇ですよ」即答すると、「ぼくはわかりませんねえ~」と言う。あんまり「わからん、わからん」と言われるので、患者さんも心に残り、それでまた考え出すという。
簡単にわからない才能も大事と言われていますね(笑)。
大切なことは、夢を理解しようとしないこと。
夢の中に象徴的表現が現れ、その意味を深く体験すること――その多様の意味をもった夢に、患者が意識をもって対処し、「経験」していくこと。
また、ユングは夢分析の技法以外に、アクティブ・イマジネーション(能動的想像法)や描画法も併せて用いています。
こうした方法は、内的世界を経験することや、具象化して把握するために有効ですが、一種の「退行(心的エネルギーが意識から無意識へ向かう)」を誘導します。退行を病的と捉えたフロイトと異なり、ユングは無意識の創造的な面を重視し、むしろ必要であると考えたました。
リピドー(本能的衝動)が、その時々で意識へ、無意識へと向けられ、この「進行」と「退行」の反復により、両者の統合の過程が生じる、としています。
ただ、このような創造的な退行に耐えうるには自我の強さも必要とのこと。治療者としてはこの見極めも大切なのでしょう。
夢分析の事例では、不登校の生徒(中学2年生と高校1年生)が夢分析により登校するまでの治療過程を挙げられています。
ここで詳しく述べませんが、ユング派の特徴的な治療過程だと思います。
因果律的な観点で捉えるのではなく、各現象を一つのまとまりを示す「布置(コンステレーション)」として把握する立場を取られています。
あくまでも患者本人と、夢に生じた心象を媒介にして、一緒に現状の問題を明確に把握していく努力に徹しています。すると、意識に呼応するように心象の世界も変化がみられるようになってくる。こうした内的な世界の自立の動きは、外的な世界における自立性の確立と微妙に関連していくといわれます。
内界の何らかの主体的な兆しは、外界の主体的な行動の変化につながっていく、こういう事例を読むと励まされますね。本来誰でも自己治癒力が備わっていて、準備が整えばベストなタイミングで、その個人の特性を反映した形で発揮されるのだと。
最後に、河合さんがユング派のシュピーゲルマンの夢分析を受けていた時、合理主義で論破しようとする河合さんに、「そういう合理的にとことんまで考える気質は非常にいいから、ユング心理学に対する疑いを決して捨てないように」と言われたとのこと。さすがユング派ですね。一面性を避ける。
わたしもユング心理学は、人生の後半に必要となる考え方の基盤、人生をより深く広く捉える観点を提示してくれると思われます。
余談話:
<先日の夢> 場所は高校まで過ごした実家。深夜、リビングにある鏡を見ている。自分の姿をチェックしていると、鏡に映っている女性は自分と違っていることに気づく。ショートカットで太っている―これはわたしの姿?
わたしは嫌な感じがした。思い切って右腕を上げてみた。鏡の女性は動かなかった。わたしは怖くなって、その場を逃げた。
――さて、一人で拡充法をしてみるとします。。
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