見出し画像

見える化の『わな』

内容をざっくり図解。大体こんなイメージかな

本論を語る前に、わたしはまず一つ謝罪しなくてはなりません。こんな濃密なエッセイを書くために、読者の皆さんの脳をフル稼働させ、読了後にはきっとヘトヘトに疲労させてしまうことでしょう。
それは、知的変態のわたしが仕掛ける高度な罠です。ごめんなさい、でも、わたしはそれを意図的に楽しんでいます。だから、どうかここから先、全力でお付き合いください。

さて、わたしが「見える化」という言葉を聞くたびに脳裏をよぎるのは、安っぽいマジックショーのような光景です。プロジェクターの光が曖昧なビジョンをスクリーンに映し出し、どこかぎこちなく拍手を求めるコンサルの手元。見える化、それ自体は有効な道具です。
でも、その光が届かない部分、スクリーンの裏にこそ真実が眠っているんじゃないかと思うのです。

たとえば恋愛(もちろん2次元限定で語らせていただきますが)でいうと、わたしたちはキャラクターの表情や言葉、背景に描かれた夕焼け空を見て、「ああ、この子たちはお互いに惹かれているんだな」と思うわけです。
でもその瞬間、見える部分ばかり追いかけて、本質を見落としていませんか?
そのキャラクターの葛藤や背負った過去、あるいは言葉にしなかった「行間」を感じる心の細部。それを読み取ることこそが、真の「見える化」なんです。

ここで、わたしの仕事に話を戻しましょう。
企業の内部情報を図表化し、問題点を「見える化」する。数字やフローチャートで語れば、それが正解のように思えますよね。
でも、わたしの目からすると、それはただの舞台装置でしかありません。本当の課題は、その図表のどこにも描かれていない「見えない部分」に潜んでいるのです。
たとえば、「売上低迷」の背景にあるのは、営業担当者の士気低下だったり、社内政治的な緊張感だったり、さらには人間関係のこじれだったりします。でも、それらはExcelには記録されませんし、チャートにも出てこない。つまり、「見える化」で語れる範囲なんて、所詮氷山の一角なんです。

氷山。ここで、物理的な例えを使いましょう。
氷山の一角を見て「あれがすべてだ」と信じ込むのは、わたしからすると知的な自殺行為です。その下に広がる巨大な塊を無視したまま、見える部分だけを評価しようとするなんて、自己満足の極みではないでしょうか。
そもそも、見える化とは誰のために行われるのでしょう?経営者?投資家?顧客?それとも、ただの自己満足?

ここで一つ、自分語りをぶち込ませてください。
わたしは大学時代、統計学にどっぷり浸かり、すべてのデータを数式で説明できると思っていました。
でも、その頃、友人関係はめちゃくちゃでした。誰がわたしを嫌っているのか、誰が本音でわたしを支えてくれているのか、その「見えない部分」を理解する術がありませんでした。数式では、友情の熱量や嘘の湿度は測れないんです。その事実を知ったときの敗北感といったらもう、涙でグラフ用紙を濡らしたくなるほどでした。

こんな話をすると、「見える化なんて役に立たない」と感じる人もいるかもしれません。
でも、それはそれで間違いです。「見える化」は大切な手段です。
ただ、それが目的化した途端、人間性が置き去りにされるんです。
たとえば、最近の職場で導入された「業務の効率化ツール」。あれも一種の見える化ですよね?タスクの進捗状況が誰にでもわかるようになり、共有がスムーズになる、という触れ込みですが、実際はその「進捗率」という数字に縛られて、誰もがギスギスし始めました。見える化した数字が真実なら、それに従うべきだと。そんな不毛な言い争いが生まれるたびに、わたしは内心で「また見える化の罠だ」と嘆いています。

「見える化」の罠、それは何かをわかった気にさせる力です。
視覚情報の持つ強大な力に、人間は容易にだまされる。でも、その背後にある「見えないもの」、人間の思考の揺らぎ、感情の波、日々の些細な行動こそが、実は本質なんです。図表や数値で語れることは、全体のほんの数パーセント。わたしたちはその「見えない部分」にこそ注目すべきではないでしょうか。

こんなふうに語っているわたし自身、実は見える化に頼ることがしょっちゅうです。プレゼン資料を作るときは、美しいグラフやカラフルなスライドを駆使して、相手を納得させようとします。

でも、心のどこかでわかっているんです。
本当の説得力は、わたし自身がそのテーマにどれだけ情熱を持っているか、どれだけ誠実に向き合っているか。つまり、言葉や数字では表せない「見えない部分」に宿るのだと。

最後に。もしあなたが今日このエッセイを読んで、「見える化なんて単なる手段に過ぎないんだ」と思っていただけたなら、わたしの勝利です。
でも、もしまだ「見える化がすべてだ」と信じているのなら、それはわたしの筆力不足のせいでしょう。わたしの濡れた筆が届かなかった場所にこそ、真の本質があるのかもしれません。

読後感が胃もたれしてしまったこと、お詫び申し上げます。ではまた。

いいなと思ったら応援しよう!