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常識の『重さ』と『チープさ』について

じつは、この文章を書く前から深く反省していました。
書き始める前から知的なお漏らしを約束された状態で、これはあまりにも挑発的なエッセイになってしまう予感がする、と自覚していたのです。
でも、あなたもわたしも、そういうものに抗えない変態であることを知っています。だからお互いさまです。まずは素直に謝ります。
読み終わった後に「これはヤバい」と震えるでしょう。きっと。そう、西野カナのように。そして、その責任は全て、わたしが負います。

さて、本題です。「常識の重さとチープさについて」というタイトルを思いついた瞬間に感じたのは、その妙に曖昧な居心地の悪さです。
常識とはそもそも何か、そしてそれがなぜ重いのか、軽薄なのか。そんな哲学的考察に足を踏み入れる気配を装いながら、ここで突然、あなたの脳内に無駄に洗練されたパワポのスライドが浮かんでいるのを想像してみてください。
たぶんタイトルだけがドンと大きく書かれた1枚目のスライド。その横でわたしがプレゼンを始めるのです。そう、あなたはこのプレゼンのターゲットであり、まさに知的お漏らしをする運命にあるのです。

常識は、「誰にでもわかる基本的なルール」などと説明されがちですが、果たしてそれが真実でしょうか?

わたしには常識という生き物が、見えない鉄球を持って夜な夜な徘徊しているように思えます。この鉄球をひとたび掴んでみると、見かけ以上に重い。それなのに、誰もが当たり前のように「こんなの持てて当然」と言ってくる。そこに理不尽さの予感を覚えませんか?

そして、その鉄球を分析し始めると、中身は意外とチープだったりする。「常識は歴史的文脈や文化的背景によって変化するもの」だなんて、お利口な文献が教えてくれることもあるけれど、それを知ったところで、なぜ人はそのチープな鉄球を必死に持ち運ぶのかは謎のままです。

さて、ここで変態的な話に進む前に、少し理系的に分析を試みましょう。
常識を構成する要素を分解してみると、そのほとんどが「社会的圧力」という化学物質でできていることがわかります。この圧力は、直感的にはとても重く感じられるものの、実際の質量はゼロに近い。
たとえば、「ビジネスマンはスーツを着るべき」というルールを考えてみましょう。このルール、何のために存在しているのかを本気で追及すると、無限ループに陥ります。結局のところ、スーツを着ていると「信頼される」という曖昧な成果が期待されているだけです。
しかし、信頼とは何か、その定義は人によって異なります。スーツを着ていても裏切る人間はいますし、Tシャツにジーンズで億単位のビジネスを成功させる天才もいる。そう考えると、このルールがいかに虚構的かが見えてきます。

でも、それだけでは終わりません。
人間とは皮肉な生き物であり、「チープだ」と気づきながらも、そのルールを守らざるを得ないことに興奮を覚えることがある。
ここでわたしが引き合いに出したいのは、恋愛シミュレーションゲームのプレイヤー心理です。どんなにありえないストーリー展開であろうと、プレイヤーは「この選択肢を選ばないと好感度が下がる」というルールを受け入れる。そして、その不条理さを楽しむ。
これ、常識というルールにも似ていませんか?誰もが心の中では「これ、馬鹿げてるよね」と思っているけれど、ルールを守ることで得られる疑似的な安堵感を手放せないのです。

さらに進化生物学的な観点から言えば、常識は集団を維持するための便利なツールにすぎないのかもしれません。
たとえば、アリのコロニーが繁栄するのは、各アリが「この巣穴は守るべき」という共通認識を持っているからです。
しかし、人間の場合、その「巣穴」が時にファッションだったり、企業文化だったり、恋愛ルールだったり、意味不明なものに拡張される。ここに人間特有の滑稽さが生まれるのです。

一方で、常識のチープさを暴露することは、それ自体が一種の快感を伴います。知的な優越感を覚えると同時に、「暴露したところで何も変わらない」という無力感が襲いかかる。
これを心理学的に表現するならば、そう、「知的お漏らし」に近い状態と言えるでしょう(わたしが命名しました)。
わたしはその矛盾した快感をこよなく愛する一方で、その愛を語る自分を嫌悪します。けれど、その嫌悪感がまた快感に転じる。この無限ループこそ、人間の本質を暴いているのではないでしょうか。

長々と語りすぎたので、ここらで締めに入りましょう。
常識は重くてチープです。そして、その矛盾を抱えながら生きることこそ、人間らしさと言えるのかもしれません。
このエッセイ自体もまた、無駄に濃密でチープな常識の枠組みの中で成立しているのです。でも、それがいい。常識という鉄球を抱えながら悶えるのが人生ならば、その重さもチープさも、わたしは愛してやまないのです。

読み終わってドン引きするか、知的にお漏らしするかは、あなた次第。どちらであっても、あなたの常識が少し揺らいだなら、わたしの勝ちです。

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