イジメを親に言わなかったらこうなった
当時の青母は、
「私たちの子どもなのに、なぜ、成績表がオール満点でないのか!」
という教育ママさんでした。
父は、地元で一番の高校を優秀な成績で卒業。
父が2歳と時(父の父で小学校教諭)
突然のくも膜下出血で亡くなっていたので
奨学金で大学へ。
母も、母の姉や、亡き私の祖父母(母方の)曰く、
優秀な成績だったそうです。
毎回、お正月の親戚同士の集まりでは、その話になり、
優秀な従姉、従兄と比較されるたび、居心地が悪くなりました。
従姉、従兄は、そんな私を気づかって、
大人たちの話題をいつも変えてくれていました。
それでも
「なぜ、この子はこうなのか」
という言葉は、子ども心に深く刻まれました。
”そんなの私の方が知りたい”
そう思うも、冷静になれば理由は明確でした。
当時は、通知表の成績がオール◎を
とれない自分がコンプレックスで仕方がありませんでした。
「◎、〇、△」評価は、たしか3段階。
評価の内容はテストの点数に直結するものというよりは
授業態度、(挙手などの積極性)が
大きく割合を占めていました。
つまり・・・
「いや、この状況で、成績表、オール満点無理でしょうよ!
学校行くだけで精一杯」
と、モヤモヤ・・・火種が燻る心理状態で
◎がとれるわけがない!!
私が発表すれば、教室荒れますので、
教師は、私は発表しても生徒たちが静かに猫をかぶる
参観日しか私をさしません。
つまり、1学期に1度あるかどうか。
もはや本人の努力どうこうで
どうこう変わる問題では、ありませんでした。
火種は毎日、着々と増えていきました。
しかし、両親はイジメを知るわけがありません。
私が話していないから、仕方ないですよね。
話したくなかったんです。
イジメが酷くなるとかの心配より、
話しても変わらない恐怖の方が大きかったから。
言っても何も変わらないだろう
その事実に自分が落胆する恐れが脳内をぐるぐるしていました。
なにせ、参観日は、全員、猫かぶっていた
同級生。
「あ♡青髪さんのお母さんだ~」
と、私の母に声をかけている。
「青髪さんのお母さんの会うと元気が出る」
なんて母に言っております。
そりゃ、気づくわけがないーーーー。
実際は、日常の授業では
手をあげても、教師には、なかなか当ててもらえず
私が回答したら、内容に関係なく教室中が騒ぎ出しますからね。
(オエッて)
そりゃ、当てたくないのでしょう。
授業に支障が出るから。
班で活動する時も、無視。
授業で、自由にグループ作る時は、
どこにも歓迎されていないだろうなと思い
孤立。
係決めは、いつも最後に残ったもの。
(挙手して、騒がしくしないため)
やりたいかどうかなど、そこに意思はありません。
そもそも人間扱い、されておらず、
”カビ”扱いだったので。
教師も気づいてないのか見てないのか
何も言いません。
だから大人に言って何か変わる発想が
「全く」ありませんでした。
先に書いたように
当然、こんな日常生活では、オール◎、無理。
当時の学期末の成績表の項目的は、
「自主性」「周りと協力できるか」「挙手など積極的か」
などで、成績だけの問題ではありません。
私が100点、98点が多かった教化でも〇、〇、〇、〇、〇
学校代表になり、地区大会で発表することになった教科さえ〇。
かたや、75点程度の子が◎。
やる気が一気になくなりました。
いじめのせいにしたくはありませんでしたが、
それが酷くなるにつれて、成績も下がり始める。
勉強しようとしても、手を伸ばせば
汚れたノートに、腕には鉛筆で刺された跡。
気が滅入る。
親にバレたくなくて、その部分を、破り捨てる。
当然、クレヨンで無理潰された部分は、見えない。
それでもなんとか、見える箇所だけ、書き写す。
そんなことをしていると、親が宿題の進捗を見にきます。
進んでいないので遊んでると思われ、叱られる。
(これまでのものを書き写してることは知らないからである)
悔しくて涙が出る。
でも親にも先生にも言えない。
親に言えば、先生に伝わるだろう。
しかし、保健室や職員室近くでいじめられてても
先生が出てくる気配はなく
小学校の先生は、誰も信じられなかった。
大人は全てなかったことにする。
だから、親に言っても仕方がないと思っていました。
勉強しても叱られる。遊んでいても叱られる。
どっちでも叱られるなら、やりたくない。
何も考えたくない。漫画を読もう。勉強したくない。
という考え始めたのが、小学校4年生頃から。
その後、自宅の「トイレ」で
隠れて漫画を読むようになりました。
不衛生だなんだと言われても、
その頃の私が唯一、気が休まる場所は、
家族が起きている時間は自宅の「トイレ」、
皆が寝静まった時間は、亡き祖父(父方)の眠る
お墓。
その2つでした。
小学生の子が、一人で、懐中電灯も持たず
まだ夜も明けない、午前4~5時に自宅を抜け出し
子どもの足で歩いて10分ほどにあるお墓で眠る、
顔も知らない祖父に、私の「思い」を
聞いてもらっていました。
日中に行かなかったのは、理由が二つあって
ひとつ目は、人目があるから。
その学校に通う人に誰にも会いたくなかった。
そして、もう一つの理由は、
家の人が付いてきてしまうから。
そうしたら、思いを吐き出せず、
亡き祖父に聞いてもらうこともできません。
でも深夜なら、その時間、すれ違う人はいません。
それがなんとも心地よかった。
そこでしか、泣けなかったんです。
私が気持ちを吐露する唯一の場所でした。
そして、家族に気づかれないうちに自宅へ。
これがバレて外出禁止または、親と一緒に
なんてことになっていたら、きっと私は
中学に上がる前に、この世を去っていたと思います。
どうしても、我慢できなくなった時・・・
頻度的には、2か月に1回でしょうか。
月に何度か祖母と行く、お墓参りとは別に
深夜~明け方のお墓参り。
私にとっては、大切な私の儀式でした。
ちなみにこの儀式は、小学校~中学校まで続く。。。。。
次回、「病みから闇へ」です。
腹黒い、青髪の思考が出てきます。