めくるめく古の鏡筒たち その6:COSINA Carl Zeiss Planar T*1.4/50 ZK
――いけますって!ちょっとのお金と明日のレンズさえあれば!
はじめに
ここで書き始めてから、今、改めて感じます。
人の欲望は際限がないのだということを。
どこまで行っても、何を持っても決してその購入の手を緩めません。
次はあのレンズでアレを撮ってみたい…その次はこの機材でこのシチュエーションで撮りたい…その次はこの場所であの人と…。
沼人はある種の心の闇を抱えた(暗黒微笑)、探究者なのかもしれません。
しかし、世界一の腕力家も言っているように、強くなりたくば喰らえ、と。喰らって喰らって喰らい尽くせッ、と。それでもなお「足りぬ」レンズを探して、筆者のような沼人は深く深く、沈んでいくのです。
力みなくして開放のカタルシスはありえねェのです。
今回紹介するものは、まさにそうした「足りぬ」レンズというカテゴリに入ると思います。また、その中でも、実は今回の葉結構今まで話題に出すのを避けてきたレンズだと考えています。
その理由は極めてシンプル。もう「使っている満足度が違う」、という言葉以上の表現が難しいためです。
適切な例えになるかわかりませんが、例えば、めちゃくちゃ綺麗なオーケストラを鑑賞したとき、きっとそれは「まるで○○のような△△で…」とか「○○の宝石箱や~」とかという言葉で表現をすることが多いと思うんですよ。
しかしその言葉はそのモノの本質なのか?もう少し具体的に言えば、いちいちクラリネットのどこそこのパートが、とか、チェロとコントラバスの云々、と、説明をすることでその感動をきちんと伝えられるでしょうか。
おそらく、そうした場合はもはや「雄弁」である、という以上の説明は野暮であると思います。
筆者は、とくにこうした感想、レビューを書くとき、常に自問自答するわけです。その表現が果たしてその本質を説明しているのだろうか、と。
相変わらず冗長な前置きを書きましたが、とにかくこのレンズは筆者にとっては難しいです。ではなぜあえてそんなものにチャレンジするのでしょうか。
沼人は助け合いでしょ!
今回は、この言葉以外の説明はもはや必要ないでしょう。
機材紹介
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