見出し画像

FUDO-KI《考察1》

《ちょっと休憩~》

『FUDO-KI』は吉備津彦伝を基にした『桃太郎』話です。30話を迎えましたので、歴史考察をお届けしていきます。あくまでも個人的な考察、エンタメとしての考察となります。

第1回は鬼と言われる『温羅』について考察していきます。



①吉備の冠者

かつて温羅は『吉備の冠者』と呼ばれたと言われています。冠者と書いて「かじゃ」。現在の意味とは違い、冠をいただく偉い人物のことを指すようです。桃太郎の話に反して、国民に人気の国王だったとの言い伝えもあります。

《考察》
『冠者』という言葉が一般的ではなく、他に類を見ないことから大きな違和感があります。しかも漢字が使われていない時代に、漢字にしてやっと意味が分かる言葉となると違和感は増すばかりです。『かじゃ』と呼んだ言い伝えがあるのであれば、『冠者』ではなく別の意味ではないでしょうか。もちろん後から昔話に付け足した言葉である可能性もあります。

FUDOKIでは「黍の賈智陽(きびのかじやん)」として表しています。つまりは人名です(かじやん=かじゃ)。人々は耳で聞いた言葉を話したのではないでしょうか。詳しくは「⑦温羅の正体」で説明します。

②たたら製鉄

吉備の国には製鉄技術がもたらされ栄えたと言われています。伝来時期については賛否両論ありますが、国が栄える要因としては納得できるものです。この技術は温羅たちが朝鮮半島から伝えたものだと言われています。

《考察》
製鉄技術はあったとして、何に使うものでしょうか。農機具や狩猟道具、または戦闘用の武器、装飾品などです。そして製鉄で栄えるためには需要が増える必要があります。農業が盛んになり、それを守るまたは争奪するための戦争が起きていきます。

FUDOKIでは国力を上げるために、農器具と武器の生産に注力する様子が描かれています。それに平行して製鉄が発展していくのです。

③農業事情

近年では縄文時代から稲作が行われてきたとの報告もされています。それらを証明するものが遺跡などから発見されているのです。つまり、豊かな農地や保存が可能な農作物を奪い合う時代だったのです。人々が暮らす集落は、より強い戦闘力を持つために国となり巨大化していきます。

《考察》
全ての地域が等しく稲作を行っていたとは言えません。また、山地を開拓するのではなく、そのまま使える平地を活用していました。この時代は現在より平地が少なく、海だった地域も多かったようです。つまり肥沃な土地の重要性は高かったのではないでしょうか。

FUDO-KIでは国々が形成され、土地の奪い合合いが活発になっていきます。国力の充実に注力するキビ国に対し、ヤハト国とウルチ国は貪欲に国を拡げていきます。なお国々の名前を穀物で著しているのはご愛嬌です。

④祭祀と信仰

後に賀陽氏の台頭があり、その源流は発音が似ている朝鮮半島の伽耶(かや)とも言われています。しかし、既に阿蘇氏などが祭祀を執り行っていたとの記述が見られます。古くから続く信仰が残っていた時代でした。また古墳の形成にも繋がる重要な年代でもあるのです。

《考察》アニミズムと呼ばれる自然崇拝から時代が進みました。次第に「祭祀を執り行う立場の者」が権力を持つようになります。ここがポイントです。九州地域では権力構造が顕著ですが、吉備では他国の信仰体系の影響を受ける過渡期だと見受けます。吉備の特徴は、国が全ての祭祀権を掌握していないところです。

FUDOKIでは、「祭祀王を置く九州勢力の信仰」が他国にもたらされる場面を描いていきます。ヤハト信仰については別の機会に説明したいと思います。

⑤百済の王族

温羅は百済の王族だった、または馬韓か辰韓の王族だったと言われています。古代日本が大陸との交流を盛んに行っていたことは間違いないでしょう。海を渡り、一大勢力を築くほど影響力のある集団が渡来した、と考えるのが自然かも知れません。

《考察》
土着の勢力は吉備にも存在していたでしょう。この時代の吉備はかなりの強国でした。朝鮮半島からやってきた一団は、土着の勢力にに協力する形で国の中枢を担ったのではないでしょうか。土着の勢力からしても大陸の技術の取込みは大きなメリットとなります。

FUDO-KIでは製鉄だけでなく、政治面や戦闘面でも賈智陽を中心とした朝鮮半島勢力の台頭を描いています。もともと土着の勢力である浦島鳴とは協力体制にありました。

⑥吉備の国

吉備は北を出雲国に隣接しています。出雲とは大きな戦争もなく友好関係にあったようです。南は瀬戸内海に面しており、当時は水上交易のメインとなる場所でした。海流が激しい地域もありますが、吉備は上手く活用して他国の侵入を防いでいました。

《考察》
瀬戸内海は活発な交易場所であるとともに、古くから海賊が出没する地域でもあります。北は山々に囲まれ防御に優れた土地でした。関西が纏まらない状況下では近隣に敵がいませんでした。

FUDO-KIでは関西の国へ警戒するものの、他への警戒は薄くなっています。九州勢力が攻め込んでくることは想定外だったのです。

⑦温羅の正体

《考察》
最後に温羅の正体を暴いていきます。大きな体躯で鬼と恐れられ、吉備津彦伝では悪者とされているものの、地場の言い伝えでは人気もうががえます。

方位学で鬼門の丑寅を表現したのが鬼と言われています(犬猿雉は裏鬼門)。当時は干支もなければ、日本にいない虎が登場となると後付けの話となります。
昔から言われる外国人説が一番しっくりきます。大きな体に普段は青白い身体。日に焼ければ赤い身体。角のある兜を被っていたのかも知れません。製鉄が進んでいれば鉄の棒を持っていても不思議ではありません。

FUDO-KIでは温羅と、温羅が弟と呼んだ王丹を3人で分担しました。
◆名前では、浦≒温羅。冠者≒賈智陽。剛伽夜叉+王丹≒ゴーガン オニール。
◆中身では、鬼の体躯≒ゴーガン オニール。百済の王族≒賈智陽。土着の王≒浦島鳴。

最後に浦島鳴について説明します。瀬戸内海地域では後に浦氏が台頭します。しかし、この時代にも浦氏は存在していたと考えます。

それは『浦島太郎』こと「水江 浦島子」に由来します。浦島子はハニートラップに引っ掛かり、不在の間に国を滅ぼされた小国王だったと考察しています。その後は残った一族を率いて吉備に移住。子孫が吉備を作った世界を描いています。

次回は『きび団子と犬猿雉』について考察していきます。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集