結局は、自分で選んでいる
人がついつい言う「不平不満」。
母の「小言」から、思ったことを書いてみたいと思います。
毎日天気のことばかり
母は3年前に、ガラケーからスマホに変えました。
母と私と兄(神奈川県在住)の3人でライングループを作りました。
母の安否確認のため、毎朝「おはよう」を入れています。
私の実家のある場所は、青森県の秋田寄りに位置し、
天候の激しい日が多いです。
母のラインは、ほとんどが「天気」のことです。
青森では例年、11月中旬ころには初雪が降ります。
実家では、一日中テレビは点けっぱなしになっています。
この季節になると、ニュースが地方版に切り替わると、
話題は「雪について」が多くなります。
雪への備え
例年はこうだった
いつ頃から雪が降りそう
母が言いました。
「またこの季節。ほんとにイヤだね。」
病院に行きたい
実家はとても不便なところで、一番困るのは病院です。
母は4か月前にパーキンソン病の診断がつき、
治療が始まったことで今は落ち着きました。
診断がつく前は、検査をしても「異常なし」と言われることにいら立ち、
「別な病院に行きたい」と繰り返し訴えていました。
「(近くには)ろくな病院がない。」
もっと大きな病院へ行けばわかるんじゃないか。
ネットで調べたり、遠くの病院へ行ったりもしました。
通常「診察」をし、必要であれば次の検査を「予約」、
または専門の病院へ「紹介」されますよね。
いずれにしても、何回か行かなければいけません。
なんといっても片道2時間かかります。
母は一人では行けないと言います。
東京なら病院は、たくさんある。
1か月くらい、うち(このころはaddress生活を始める前でした)に来て、
「検査スケジュール通り」に行けばいいじゃない。
東京への行き帰りが不安なら、送り迎えするよ。
いる間退屈なら、(関東に住む)おばさんと会っても良いんだし。
どうせ、ここにいたって何か用事があるわけじゃないんだし。
しかし「いや」と。
※結果的には「いつもの病院」で診断がつきました。
「以前も検査したんですが??」という疑問に、
パーキンソン病は「症状で診断がつく」とのことでした。
つまり、認知症と同様に、症状が進まないと診断がつかないようです。
片付け
私が帰省するたびにやっている、家の片付け。
布団や、ストーブや家具や食器、、
毎回大量のゴミが出ます。
庭の草取りやら、側溝の掃除やら。
やることはたくさんあります。
そのたびに母は、眉をひそめます。
「大変でしょ。」
この時私が感じる「違和感」。
いったいこれは何でしょう。
最近やっと答えを見つけました。
昔は同情していた
私は昔、母に同情していました。
習い事一つ、行けない。
買い物一つ、自分の足で行けない。
こんな閉塞的な田舎に暮らす母。
父と結婚しなければ、別な人生があっただろうに。
もっと母には幸せになってもらいたい。
そう思っていました。
でも、最近変わりました。
積る雪
厳しい気候
「毎年同じことを言いながら、
何十年も住んでるんだもんね。」
ろくな病院が無いこと
広い庭
モノがたくさん
全部自分が「選んでいる」。
その証拠に、
雪の間だけ「東京に来れば」と言っても、
「東京の病院に来れば」と言っても来なかったし。
不便が嫌なら、運転免許を取っていただろうし。
(母は車の運転ができません)
本当にこの場所がイヤなら、途中でどこかへ行っていたでしょう。
歩いていて事故にあったとか
誰かに連れ去られて幽閉された
という話ではないのです。
本当に変えたければ、変えている。
モノがいっぱいなのだって、
「知らぬ間にこうなった」ということではありません。
見てみぬふりをしてきたのです。
おそらく、意志をもって。
それを、本人は自覚していない。
人は不平不満を言うもの
雪も病院も片付けも「大変」。
しかし「大変」というなら、生きていること自体が大変です。
高齢になって体の自由がきかなかったり、
長年の蓄積で片付けが大変だったりするけれど。
仕事で生計を維持する必要があれば、仕事の大変さがあります。
本当に「解決」したければ、人は行動するものですよね。
不安と言いながら何もしないのは、「何もしない」と決めているから。
人の悩みの多くは、人間関係だったりしますよね。
なぜ「人間関係」が悩みのもとになるのか。
「ポジティブな話」では悩みません。
たいてい「不平不満」から始まります。
人は「不平不満」をよく言うものですよね。
あんまり真に受けないようにしましょう。
そして、不平不満は「癖」になりますから、
自分でも気を付けましょうね。
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