3年かかった離婚
50代ともなると、良くも悪くも
「私の人生こんなものかな、、」
あきらめ?
いえ。
満足とはいかなくとも、
自分を認められる境地に達していないでしょうか?
「いろいろ」あったとしても、「悔いたり、恨んだり」から、
解放されていないでしょうか?
「いろいろ」が、むしろ人生後半を充実させるのでは?
「順風満帆」がイコール「(心の)幸せ」ではないことも、
私たちはもう知っています。
私の「いろいろ」のうち、
最も過酷な頃を振り返ってみたいと思います。
人生の暗黒期:結婚生活
私は、25歳で結婚し、35歳で離婚しました。
結婚生活は、幸せなイメージとは程遠い、
牢獄に入っていたような10年間でした。
結婚し、東京から名古屋へ引っ越しました。
今思えば本当にバカみたいなのだけど、
「地元に帰りたい」という元夫に、
のこのことついて行ってしまいました。
仕事も交友関係も断ち切れた私に待っていたのは、
私を欺き続ける夫。
そして、同居こそしていなかったものの、
DVモラハラ酒乱の義父でした。
元夫は「借金癖」のある人でした。
使い道は、
ある時は「服」だったり
ある時は「飲み」だったり
ある時は「パチンコ」だったり
ある時は「ルアーフィッシングの道具集め」だったり。
借金が何かの拍子に発覚し、
懸命に返済しようと、苦しい生活をしている間にも、
元夫は、私に隠れて新たな借金をしている。
結婚生活の10年は、その繰り返しでした。
借金からは完全に足を洗ったと信じていた32歳のとき、
娘が生まれました。
やっと普通の生活ができると思っていました。
しかし、娘の1歳の誕生日を待たずに、また借金が発覚しました。
同じ頃、優しかった義母ががんで亡くなりました。
59歳でした。
義母はとてもいい人だったけれど、
義父に「囚われたまま」死んでいきました。
その姿は、私に離婚を決意させました。
「機能不全家庭」で育った元夫
そんな相手とどうして結婚したの??
そう思いますよね?
温和でユーモアがあり、おしゃれで、仕事もできる。
彼は仕事でも友人の間でも、絶大な信頼がありました。
私たちが離婚した時も、彼を知っている人はみんな、
「気の強そうな奥さんだったからね。」
くらいにしか思わなかったと思います。
元夫の家は「機能不全家庭」でした。
「DVモラハラ酒乱」の義父を中心に、
みんなが「家族を演じて」いました。
元夫は、完全な「アダルトチルドレン」でした。
表面を「取り繕う」ことに慣れた人間は、
ウソの境界がとても曖昧です。
自分にウソをつくのも平気になります。
すると、自分で自分を信用できなくなります。
自分という存在がとてもあやふやなものになり、
「自分はどうしたいのか」「どうすべきか」より、
何をごまかせば「ことが丸く収まる」のか。
彼は、そればかりを考えていたように思います。
ここで暮らすことはない
娘の1歳の誕生日を待たずに借金が発覚した時、
私は仕事を辞めて育児をしていました。
ひとまず実家に身を寄せ、鬱々とした気持ちで数か月を過ごしました。
青森の中でも「超」の付く田舎ですが、
そのうち仕事も見つかるかもしれない。
細々とでも、娘を育てるくらいには生活していけるかな。
何のきっかけだったかは忘れましたが、
ある日、母と口論になりました。
母が、こう言いました。
「みんなちゃんとやっている。
誰もあなたのように(実家に戻ってきたり)していない。」
みんな「ちゃんと」?
ああそうか。
「世間体が悪い」と言っているのね。
そうだった。
ここは「噂話しか話題のない」町だった。
悪い噂は、一瞬のうちに広まる。
この町で育てたら、
娘には「出戻りの娘」という「屋号」が一生ついて回るだろう。
私は名古屋へ戻りました。
「ここに住むことは二度とない」と決意して。
3年かかった離婚
娘と二人で暮らしていくには、経済的に不安定ではいけない。
会社の「正社員」になる必要があると思いました。
また、二人で暮らすなら東京へ戻るつもりでした。
引っ越して
娘を保育園に通わせ
私はフルタイムで働く
全てを一斉にスタートしたら、パンクすると思いました。
まずは娘を、保育園生活に慣れさせることからスタートしました。
娘を「保育園に入れる」には勤務先が必要だったので、
近所のパン屋のパートに出ました。
1年ほど経ち、本格的に正社員の仕事を探しました。
東京の会社へ応募し、内定が出た後すぐに引っ越し先を決め、
逃げるように名古屋を後にしました。
引っ越しの日。
名古屋のマンションから、
荷物を積んだトラックを送り出したのは、午後3時頃でした。
バスで名古屋駅まで出て、新幹線に乗りました。
東京駅で電車に乗り換え、
泊めてくれることになっていた友人の家に向かいました。
東京の雑然とした街の駅に降り立った時の、
夕暮れの風景は一生忘れません。
やっと、やっと、ここまで来た。
娘と二人の生活が始まりました。
離婚しようと決意してから実際に離婚が成立するまでに、
3年かかりました。
以降こちらに続きます。
結婚生活の10年間で、「幸せ」と思った瞬間はあったんだろうか?
娘は生まれた瞬間から、笑っているような子でした。
パーッと明るい笑顔を見た時にだけ、幸せを感じました。
娘の生活だけは、何としても守ろうと思いました。
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