マティス展で「50代からの未来」に大きな希望を感じた話
先日こちらの展覧会へ行きました。
※記事を見て行こう!と思った方、20日までです(-_-;)
そこで、50代からの「これから」に大きな希望を感じた話です。
若い時は大変だった
マティスは、1869年生まれ、1954年没です。
その時代にしては長寿な、85歳までの生涯でした。
画家として活動し始めた30代では、経済的に困窮し、
妻と子どもを伴い、一家で実家へ戻っています。
私たちのよく知るマティスの絵
マティスといえば、「明るい色彩」ですよね。
これらが、見覚えがあるのではないでしょうか?
赤の大きな室内
イカロス(版画シリーズ〈ジャズ〉より)
これらは、マティスが何歳のときに制作されたものか、ご存じですか?
答えは、
「赤の大きな室内」79歳(1948制作)、
「イカロス」78歳(1947年制作)です。
最晩年に終結した
これらの「切り絵」も見覚えがあるのではないでしょうか?
かたつむり マティス84歳(1953年制作)
王の悲しみ マティス83歳(1952年制作)
制作の背景にはこのようなことがありました。
マティスは、1941年十二指腸癌を患います。
私たちのよく知る「切り絵」が生まれたのは、
絵の制作が体力的に厳しくなったからなんですね。
体の自由が利かないながらも、制作は続きます。
棒の先に絵筆をつけ、描いています。
こちらも、体力的に厳しくなったために、線画になったと思われます。
オレンジのあるヌード マティス84歳(1953年制作)
最晩年に身体の自由が利かないなか制作された作品が、
もっとも「マティスらしい」作品として、
認知されることになるのですね。
人との出会いが人生を支える
いろいろな画家の生涯を見ると、
いかに人と出会うか、
支援してくれる人が現れるかだと感じます。
そして、晩年の制作を支えたのが、
リディア・デレクトルスカヤというロシア人女性でした。
《夢》1935年
マティスの、1941年の大病以降の制作は、
介護人として、助手として、モデルとして、秘書としての、
彼女が存在していたからできた、とのことです。
言葉を変えると、私たちがよく知るマティスの作品は、
最晩年の不自由な体と、
それを支えるリディアから、生み出されたのです。
人生の奥深さを感じますね。
50代どころか、最後の最後まで、
人生には可能性があるのですね。
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