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逃避で食べていた幼少期~過食症体験記②~



私の摂食障害は大きく3つの時期に分かれ、


1.幼少期~中学生:潜在的過食症


特に理由も分からず、ただ周りの子と比べて
自分は食への執着が強く、
コントロールが出来ていないと
何となく感じていた時代。


2.高校生~社会人2年目:拒食症


中学生までのダメな自分を捨てると決意し、
生理が止まるほど食べる量を減らして
とにかくあらゆる自分を否定し、
変わらなきゃと無理して頑張っていた時代。


3.社会人3年目~今年:過食症


拒食の反動で過食症になり、
仕事にも支障をきたして
30歳手前で退職して実家に戻る→現在。



では、それぞれの時期について
順を追って書いていきます。





1.幼少期~中学生:潜在的過食症



物心ついた頃から、
潜在的には過食症だったと
言っても過言ではないと思います。

というのも両親や先生、
同級生の目があったからこそ
「普通のフリ」をしていましたが、



本当は頭の中は食への執着、
食べることでいっぱいだったからです。
もし誰の目も無ければ、お菓子を
好きなだけ詰め込んでいたことでしょう。


一番最初の記憶は幼稚園の時
マッ〇のポテトを自分の分を食べたのに満足出来ず、
友達のを貰おうとして母に驚かれたこと。



それくらいよくあることで、
罪悪感を持つ必要はないのかもしれませんが
「これっておかしいことなんだ」と
食に執着の強い自分が恥ずかしくなりました。


なぜ、それほどにまで食に執着
あるいは罪悪感があったのか?


それは


・幼稚園や学校の友達になじめない孤独感
・母親や先生に馬鹿にされたり、否定されるストレス
(大人しくて要領も運動神経も悪かったので)


があったのかと思います。



そこには発達障害グレーゾーンやHSPという
私自身の気質も絡んでいるのですが、
長くなるので今は割愛しますね。


一人っ子でおとなしく、友達になじめなかった私は
本当は家で一人で空想したり、本を読んだり
歌っている方がずっと好きでした。
でも、幼稚園以降は団体行動をしないといけないですよね。



というか、こんな本音も今だから分かることで
支配的・否定的な母親のもとで育ち
「自分の意見を言う」という概念を
そもそも知らなかった私は



「友達になじめない自分はダメ。
なじめるように頑張らないといけないんだ」と
かなり早い段階で自信を失っていました。


そこで食への執着です。
孤独からストレスを感じても
お菓子や脂っこいものを食べると
エンドルフィンが分泌されて感覚が麻痺し、
辛いことを忘れられるからです。


中学時代までずっとこんな精神状態で過ごしました。
最初にも書いたとおり、人の目があったので
過食にはなりませんでしたが
いつも食に対して、逃避手段としての執着がありました。


もし今あの頃の自分に戻れるなら
がんばらずにテキトーに集団行動をやって、
あるいはフリースクールなどに通わせてもらって
好きな友達とだけ付き合って
あとは一人で楽しく過ごすと思います(笑)


次回は摂食障害中期の体験について
書きます。

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