就活さんに襲われています(上)
プロローグ
生きづらい社会だなと常々感じています。13歳頃からずっとそう思いつつ、本や旅やゲームといった娯楽に逃げて、何とか生きてきました。そうして気づけば大学受験を目の前にした私は、将来したいことも特になく、何となく興味のあった大学の、何となく興味のあった学部に進学することになります。運のよいことに、それまで生活していた土地から離れて過ごした新天地の大学生活は、学びも遊びも充実していましたが(コロナで諸々消えた気もするようなしないような)、相変わらず将来したいことなど無いままに21歳になっていました。ただ、そんな私にも「就職活動」というイベントがやってくるのです。
※1 この文章には、一部の業界・企業に対して、就活生の私が抱いた感想が記載されています。その中で、一部不快にさせる表現が含まれている可能性があります。あくまでも一個人の感想として捉えて下さい。
※2 この文章中では、企業のインターンシップに参加した感想が出てきます。ただし、インターンシップの詳細は、企業秘密の公開に抵触するため記述しておりません。また、内容を訊かれても答えることは出来ません。
※3 この文章における就活は、あくまで2023年卒業予定の私が経験した就活です。24卒以降ではインターンシップの選考フローが変更になる可能性があります。また、私が本選考で受けた企業名及び選考フローは公開しません。
※4 noteには就職活動を楽しみ、働くことに希望を見出す就活強者が多い気がしますが、私は「働くことは楽しくない」と植え付けられた上で就活をしていた人間です。就活を楽しいと思っているタイプの方には、この話はあまり面白くないかもしれません。
第一章
日本国憲法第二十七条:すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
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大学生活も折り返し地点を過ぎようとしている、2年生の春休みだった。下宿先のポストに「就職活動セミナー」と太字で書かれたはがきが投函され、憂鬱な1年間の始まりは勝手に告げられた。
なぜ憂鬱なのか。それは就活が楽しいと言っている人間を見たことが無いからである。少なくとも、先輩の話を聞いている限り、就活は楽しくない。中には、まだ就職しているわけでもないのに、就職先選びに失敗したと後悔している人さえいる。「就活」と調べると、サジェストに「就活 鬱」、「就活 死にたい」と出てくるようなことの、どこに希望を持てようか。1年先を歩む先輩たちのどこか暗さを抱えた笑いは、就職活動が終わった頃には自分の性格が変わっているかもしれないなと思わせた。
まあ、SNS上では、就活を楽しんでいる人が色違いポケモン程度に生息していると、一応知っていた。ただ、彼らは「自分に確かな自信を持っており、成長欲求や承認欲求を前面に出して競争を楽しめる」タイプの人間であり、「自分には全く自信が無く、成長欲求や承認欲求を誰かに見せることへの羞恥心がある」タイプの私には、就活を楽しめる気がしなかった。
そして、やや信憑性に欠ける気もするネットニュース曰く、ここ数年の就職活動は年々早期化しているらしかった。それは同時に、その分だけ就活をする期間が長くなっている(=長期化)ということでもあった。大学は人生の夏休みという話は過去のものになりつつあったのだ。じゃあ実際、就活はどんなスケジュールなのかって?
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昔々、経団連という少なくとも良い印象ではない謎の団体によって定められたルールは、企業による学生争奪戦の激化により形骸化していました。一応形骸化したルールを言っておきますと、23卒の就活では、大学3年の3月1日に就職活動の情報が解禁され、大学4年の6月1日に就職活動が開始されるというものです。
ですが、これはあくまでも建前なのでした。実際には日系の上場しているような大企業でも、当たり前のように大学3年の3月に内々定を出しているのです。そして、このような4月以前に内々定が出ているルートのほとんどは、秘密裏に行われているというのです。
では、秘密裏に行われているルートに乗るためにはどうすれば良いのでしょうか。その答えは「インターンシップ」にあります。現代の就活では、企業がインターンシップ(就業体験)を開催することが当たり前になっております。夏インターンシップが実質的な就活のスタートと言われていますから、大学3年の5月から就活は始まっています。インターンシップの開催目的は、建前上は企業について就活生が深く知るため(実際、インターンシップに参加することで企業についての理解は深まる)ですが、本音は企業が就活生を知るためです。就活生は、インターンシップに参加するためにエントリーシート(以下、ES)を記入し、面接に向かいます。企業はそこから優秀層のみを抽出してインターンシップに招待した後、インターンシップで更に就活生を評価します。ここで高い評価を得た就活生が、裏ルートへ招待されるのです。もちろん「非公開イベントのため外部には漏らさないこと」という条件つきで。
そうしてめでたく裏ルートへ招待された学生は、いわゆる「早期選考」と呼ばれるフェーズに乗ることになります。本選考に比べて倍率がかなり低かったり、通常よりも面接回数が少なくなったりと、優遇を受けられるのが特徴です。就活生としてはありがたい話ですが、同時に見えないところで就活生同士の蹴落とし合いが行われていることを、嫌でも思い知らされるでしょう。裏口入学が批判されるのは、大学までの話です。
そうして初めての内々定を得るのが、大学4年生の4月頃。22卒のデータによると、就活で初めての内定が出たのは大学4年の4月が最も多いそうです。つまり、「6月1日に選考をはじめてね」という経団連のルールなんてものは、形だけです。
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さて、就活のスケジュールは分かっただろうか。現代の就活生は、「面接で建前上の自分をつくる能力」さえあれば何とかなる我々の親世代の就活とは異なり、「教育をしなくても即戦力になりそうな人間」であることが求められる。もう日本の企業には、新人を教育する体力が残っていないのかもしれない。求められる能力のレベルが上がっているのもそうだが、オンライン化によって地方からの応募数が増えていることもあり、インターンシップの倍率はかなり高いと言われている。そんな中でインターンシップそのものに参加するだけでも大変なのだ。24卒からはインターンによる就活生の評価を大っぴらにする可能性もあるそうなので、より厳しい戦いになるかもしれない。
もう就活が楽しくないことは分かってきたが、なぜ楽しくないのかもう少しだけ考えてみる。まず、やりたいことがなかった。私は自然と選択肢を「社会で高評価を得ているもの」に絞っている節があった。父親と同様に、名の知れた高校に進み、名の知れた大学に行く。そして名の知れた企業に勤め、それなりの給与を得る。それが良い生き方であるという前提があった。仮に音楽の才があったとしても、私は音大ではなく高学歴と言われる大学をとるだろう。そうして選択肢を絞った後は、「取り敢えず面白そうだから」という、目先の判断で選択をしてきた。そんな私に、この先の生涯を使ってまで叶えたいことなど何一つ無いと思っていた。
この話をすると「自己分析が甘いから、やりたいことが見つからないのだ」という意見を頂くことがあるが、私は他者よりも内省することがかなり多いと思う。その上で叶えたいことなど本当に何も無かった。そもそも就活自体、それが私の中での当たり前だからやっていた。就活未経験者の生活が分からないから、就活をしているのだ。
つまり、将来の夢があることを前提とした就職活動において、私はスタートにも立てていなかった。「こうしておいた方が将来の選択肢が多分広がるから」という理由で、一つの道を究めることから逃げてきた結果が今の私だった。
また更に厄介なことに、名の知れた大学へ進学したことで、選択できる道は確かに増えた一方、誰でも選択できる道を選びたくなくなっていた。大学名が無いと出来ないことに、固執するようになっていたのである。では、このまま選択肢を広げ続けても良いのではないだろうか。そう考えると、最近人気のコンサルタント業界はうってつけだ。ある程度の学歴と能力が求められ、多くの業界の内情を知られて、自身のビジネス戦闘力(大嫌いな言葉である)が上がるらしい。ただ、私が選択肢を広げるためという理由でコンサルに就職した場合、やりたいことが何か結局分からないままに、仕事に忙殺されて野垂れ死ぬ自分の姿がありありと想像できた。そして、私は自分自身で選択をしないまま、労働の楽しみを知らないまま、無味無臭の人生を終えてしまうだろう。
ここで私がしなければならないことは明らかだった。私はこのタイミングで夢を作らなければいけなくなった。実にくだらないと思っていた「自分探しの旅」をしなければならなくなった。小学校で行われた二分の一成人式で、齢10にして「将来の夢は教師と言っていれば安牌だろう」という考えのもと、教壇の上で「将来の夢は教師です」と嘘を語っていた人間が、自分の将来と格闘しなければいけなくなったのだ。
***
闇夜の中で訳も分からず就活を進めるのは流石に危険だろうと思い、私は自分と似た性格の父親に「仕事って楽しい?」と訊いた。
「楽しくはないよね」
「でも、そこら辺の業界に魅力があったから受けたんでしょ?」
「別に。何となく受けた」
「え、本命の業界は受かんなかったってこと?」
「いや、受かってたよ」
「なのにそっちには行かなかったのは何で?」
「最後の最後は何となくかなぁ」
__もう、就活なんてやめちまおうかなぁ。
父親は、就活生から人気が高い、ホワイトで安定的な業界に属する名の知れた大企業に勤めている。そして、噂によれば就活生に好かれる職種らしい、マーケティングというものを担当している。そんな父が精神安定剤を飲んでいる様子を見れば、労働のつらさは明らかだった。父親は年齢と役職から察するに、おそらく同期よりも出世のスピードが速いようだが、曰く、労働とは運ゲーであり、成果が出ようが出まいがそれは努力の成果ではなく大体運だと言った。
それを聞いた私は「出世してるのにそんな消極的な考えって、つらくね?」と思ってしまった。先にも述べたが、父はきっと優秀なのだろうと思いながら、無意識に父親の人生を模倣して生きてきた。ある程度名の知れた大学に通い、名の知れた企業に就職しようとしていた。そうして生きてきた結果辿りつくのが、「労働は運ゲー」という言葉なのだとしたら、労働に対して良い印象は抱けない。
ともかく、就活を始めた当初の私は「自分自身のことは比較的理解しているが、仕事とはどのようなものかを理解していなかった上、仕事に対して全く良い印象を持っていなかったがために、したい仕事などない」と思っていた。ただ、このままだと仕事の中身を全く知らないままに、良いところを探そうとしないままに、本選考を迎えてしまうことも分かっていた。その恐怖を払拭するため、夏のインターンシップは業種・職種の好き嫌いをあまりせず、幅広く応募することにした。ここで就活を先延ばしにせず、取り敢えず仕事とは何か理解してみようという意志があったことは、後々の就活に大きなメリットとして還ってきた。終点に待っているものは「労働」という憂鬱な事柄であることに、一切の変わりはないが。
第二章
鮮やかな緑が札幌キャンパスの心地よさを増幅させる季節になった。就活が始まると、「ガクチカ」というものが必要だと知った。「学生時代に力を入れて頑張ったこと」の略称で、「何かに対して挑戦するとき、どのような過程を踏む人間なのか」を示すものである。決して、成果の大きさを誇示するものではない。
私は、何かと代表的なポジションにつくことが多い一方、自分自身が積極的に集団を率いていくタイプではないと知っていた。頭が良いからとか、責任感があるからという取って付けた理由で代表にはなるが、結局自分がやった方が早く進むのではと思って、すべて1人で終わらせてしまう。周囲の士気が高い場合はそうでもないと、夏のインターンシップで気付くのだが、わざわざグループ全体の士気を上げることに対して、力を入れることはできなかった。典型的な、マネジメント下手の中間管理職不向き人間である。
そして、責任感がある人という評価も、自分からすれば間違っていると思っていた。正しくは、他人が私に対して抱く評価のレッテルを剥がされないように努力する人だった。だから、敢えて自分のレベルよりも偏差値の低い高校を選んだ。高校最初の定期試験で高順位をとりやすいと思ったからだ。そうすれば、私には「頭が良い人」というレッテルが貼られると知っていた。そして、案の定そういう評価をされるポジションについた。その評価を崩されたくない、そういう感情のおかげで、私は毎回のテストで好成績を残すことが出来たし、そのままそれなりの大学に進学することが出来た。責任感とは、「頭が良い人」というレッテルが貼られた人への、副産物のようなものであり、少なくとも自発的に生まれたものではない。
そういう性格にもかかわらず、私は企業に好かれそうな積極性一点張りの大嘘のガクチカをESに記入し、自身の性格を完全に偽った状態で夏インターンシップの選考へ挑んだ。そして、運が良いのか悪いのか、初めて提出したESは書類選考をするっと通過し、WEB面接へと呼ばれた。しかし、嘘で塗り固めたESについて語る私の姿は見るも無惨なものだった。自分で嘘のエピソードを辿々しく話した後に、他の学生が展開した論理的な話を聞いて目眩がした。案の定面接で落選した私は、多少話を盛るにしても自分自身の性格に従ってESを記入すべきだと学んだ。6月半ばのことだった。
特に入りたい業界が決まっているわけでもなかった私は、嘘で塗り固めた地獄の面接を行った日の前後、目についた大手企業のインターンシップにESを出しては、企業からお祈りメールが届いたり、時に通過したりする日々を送った。お祈りメールが来たとしても、人事に対して「私の能力を理解出来ないとは可哀想に」と思い込めるやたら屈強で尊大な精神と、なぜESが通らなかったのかを考えたがる性格のおかげで、私個人の人格が否定されるとは思わなかった。そうしているうちに蝉がないていた。
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ESが通らない理由を人事に確かめたわけではないが、私は大きく3つの理由があると考えている。1つ目は、ESの文章から情景を想像しにくいことだ。身内でしか使わない言葉があったり、場所・人数・期間などの情報が抜け落ちていると、文章から想像する情景はすぐにぼんやりとしてしまう。ESの文章はできる限り簡潔にしつつ、誰が読んでもほぼ同じ情景が想像できる程度に整える必要がある。事前情報を何も知らない状態で流し読みしても理解出来るESになっているか、確認した方が良い。
2つ目は、性格検査の結果がやたら極端であることだ。就活を始めた当初、自分自身がそこまで有能だとは思っていない私は、性格検査でかなり消極的な選択肢を選んでいた。しかし、一度自分自身を客観的に見てみると、人並みに出来る事柄は案外多いと気付く。性格検査は他人と比較せず自分の指針のみで選択肢を選ぶため、ついつい過小・過大評価しがちだが、よっぽど分かりきっている場合を除いて極端な選択肢は選ばない方が賢明だと思う。結果が分かるタイプの性格検査もあるので、その性格検査を客観的な視点で行い自分を把握するのが一番手っ取り早いかもしれない。
そして3つ目は、動画選考における情報量が多すぎることだ。最近のESには、稀に動画を課してくる場合がある。わざわざそんな手間をかけさせるなよという感想しか浮かばなかったし、テクノロジーの発展は時に社会へ悪影響を及ぼすなぁと思った選考方法である。それはさておき、課される動画には大抵30-60秒ほどの制限が付けられており、これが案外短いのだ。ESの情報量をそのままそっくり語るのは、時間的に不可能である。だからこそ、動画にはESほどの情報量を詰め込まず、浅い内容で良いからゆっくりと朗らかに話すべきだと動画選考に数回落ちて気付いた。動画選考の撮り方については、NHKが夏に行うオンラインカレッジ(おそらく書類を出せば誰でも参加できる)がかなり役立つのでぜひ確認して欲しい。そこでも述べていたが、沢山の情報量を詰めたとしても、観る側からすると情報が流れてしまうだけである。
***
結局、半日程度のワークショップ的なものも含め50社ほどにESを出した。複数日開催の夏インターンシップで選考に通過したのは、
A社(電子部品、ES・WEBテスト→個人面接→4Days)
B社(テーマパーク、ES・WEBテスト→1Day・ES・個人面接→3Days)
C社(新聞、ES→個人面接→4Days)
D社(鉄道、ES→個人面接→5Days)
E社(陸運、ビズリーチキャンパスからスカウト→3Days)
F社(デベロッパー、ES→個人面接→2Days)
47INTERNSHIP(参加企業:旭化成・NTTデータ・岩谷産業・サイバーエージェント・POLA・エイベックス・三井住友銀行、ES→3Days)
の7つだった。正直、夏のインターンシップでこれだけ複数日のインターンシップに参加できたことは運が良い。本選考よりも倍率が高いと言われる夏インターンシップでは、とにかく数打てば当たる戦法が正解なのだと思う。嫌でも大量のESを書いて、WEBテストを解いて、合否が送られてきて、反省をする。そうやって、本選考の下地をつくりつつ、選考落ちに慣れる期間なのではないか。今振り返ってみると、そんな気がするのだ。
ともかく、ここで通過したインターンシップがそれぞれ異なる業界だったことは大きかった。なぜなら、自分自身がそれぞれの業界に抱いていた幻想を払拭することができ、幾つかの業界を比較して自分自身の適性を測れたからである。
例えば、某テーマパークを運営するB社のインターンシップでは、「この仕事を通してどんな人になりたいですか?」と社員に伺い、「世界一のマーケター」と返答された時点で萎えた。こういう返答が来ることは、社員の「戦略コンサルや外資メーカーを渡り歩いてきた」という煌びやかな(いかにもビジネス書を書いていそうな)経歴を見て悟ってはいたが、エンタメ業界で働く人から「誰かを喜ばせたい」といった趣旨の発言が出なかったことに落胆した。この瞬間、私にとって企業は自身の成長のために利用する場所ではなく、他者への貢献という目的を達成するために利用する場所であることがハッキリしたと同時に、自身の成長を優先する人ばかりの環境では働けないと悟った。というか、「自身の成長欲」を全開にして誇ってくる人があまり得意ではなかった。「能ある鷹は爪を隠す」と言うように、優秀でありながら謙虚な人の方が何倍も格好良い。
また、47INTERNSHIPに参加したときは、サポートしてくださったNTTデータの人事の方々からしごかれまくった。その中で学生にありがちな、何となく思いついた手段の整合性をとるために、目的を歪めることの危険性を理解した。私たちは目的のために手段を考えるが、良い感じの手段はそう簡単に思いつくものではない。その結果、目的とズレているけれども良い雰囲気を醸し出している手段に迎合し、その手段に合わせて当初掲げていた目的を歪めようとする。そうして結局、本来したかったことは何一つ達成されないままプレゼン本番を迎えるのだ。目的のために手段を考える段階は難解だが、そこで真っ向から挑戦することで価値は生まれる。恵まれた仲間とまあまあな時間をかけて取り組み、結果として優勝をもぎ取ったこともあり、2021年では間違いなく一番の成長体験だった。そして、このインターンシップを通して、私は自身の長所をある程度自覚できた。
こうして幾つかのインターンシップに参加して気付いたが、インターンシップでは最後にグループで考えたことを発表し、順位づけられることが多い。当たり前の事だが、このとき最終プレゼンを評価するちょっと年齢層高めの人たちは、グループでの話し合いの経過を何も知らない。もし優勝を狙うのなら、その人たちにプレゼンだけで伝えたいことが伝わるのか、何度も確認した方が良いだろう。ただ、最終プレゼンの順位なるものは、おそらく個人の評価にそこまで影響しないのではないかと思う。人事は私たちがグループで議論を重ねているときから、私たちのことをとてもよく観察している。議論中の態度は、プレゼン結果の何倍も早期選考に影響を及ぼすはずだ。
***
そんな夏休み(全く休みではなかった)を経て私は、
「本音で価値があると思える商品に関わりたい」
「自身の成長よりも、他者への貢献を優先したい」
「プロジェクトのはじめから完成まで一貫して携わりたい」
という感想を持った。この瞬間保険・証券・銀行・コンサル・デベロッパーといった業界や、自身の成長を第一とするベンチャー企業が選択肢から消えた。しかし、それでも選択肢は余りあるほどにあった。今見返せば、いずれもハッキリとしない感想だ。価値とは何か。他者とは誰か。まだ自分自身の本音と向き合えていなかったのである。
「就活さんに襲われています(下)」に続く(2022年4月24日更新予定)
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