死にたい気持ちについて
死にたい
死にたい気持ちは些細なことがきっかけでいつも突然私の前に現れます。私はその気持ちを抱えて生きています。今まで私は生きてこられたので、これからも死にたい気持ちのまま生きていくこともできるのかもしれません。私の生き甲斐は死にたがることです。死にたがることは、別に悪いことじゃないと思っています。なぜなら、それが生きている証になるからです。今に始まった話じゃないけど、もはや生きているというより、私は死んでないだけ…とも言えるような気がします。
クソくらえな世の中
そもそも世の中は残酷なものです。一人一人スタートラインが違いすぎます。不平等なのがこの世の真理です。高いところを目指しても、私は上がれたようで墜落ばかりを繰り返してきました。私は私でありたかっただけなのに、それすらも壊れてしまいました。
学校や家庭、社会の荒波に揉まれて疲れた私に温かいぬくもりをくれる人はいませんでした。まがいものばかりで何も信じられなくなりました。今も私の周りには誰もいません。私の近くには何もありません。私を癒してくれるものは、自分の手には届かない遠くにあるもの、遠くにいる人だけでした。
希望が持てない
私は一応まだ若いので、大人になり切れていないし、幼い部分もあるのかもしれません。未知の世界もたくさんあるはずだとは分かっています。それでも一切希望が持てません。未知の世界を知ったとしても、傷つくことが多いような気がして足を踏み出すのがいつしか怖くなりました。
話を通じ合わせようとしたり、説得しようとしたりしたって上手くできなかったし、自分の思い通りになった試しがなかったので私はもう諦めました。人に認めてもらおうとすること自体愚かです。誰にも期待しない方が良いといい加減学習しました。
死にたくなる理由
私の死にたい気持ちが湧いてくる源泉はどこなんだろう…と思いました。人はなぜ死にたくなるのだと思いますか?精神疾患なのか、発達障害といった先天的な脳の病気なのか、虐待といった後天的に受けた脳へのダメージなのか、環境からくる精神的苦痛か、積み重なったストレスか、孤独感か…。
希死念慮や自殺願望といったものは、複合的な要因で成り立っていると考えられます。人が希望を失い、死を選びたくなる理由はたくさんあると思います。私が死にたいと思う理由も全部説明しきるのに疲れてしまうくらい、すごくたくさんあります。複合的である、つまり、色んな要因が重なって絡まっているからこそ、死にたい気持ちはなかなか消えないのだと思います。
自分でどうにかするしかない
私がここで「死にたい」と言っても、学生相談室の先生や病院の先生に「死にたい」と言っても、結局何も解決しないんですよね。ああ、私って死にたいんだなあ…って、またそう思うだけです。自分がどのくらい辛いのかとか、苦しいのかといったことは、自分の主観でしか測れないものです。病名がついて症状を客観視することができたとしても、他人からすると、その人が感じている苦しみを体感することはできないものです。
何だか誰も助けてくれないような感じがします。薬は一時的なものだし、自分でどうにかするしかありません。どうあがいても苦しさが消えない、うまく行かない…。でも、それが人生の面白さなんでしょうか。ひょんなことで何かが変わるかもしれない…というような望み薄で粗末な考えが私は嫌いです。私は自分の人生に期待なんかこれっぽっちもしていません。