「まあ,いいか」の甘い罠
「まあ,いいか」と思う。
トイレットペーパーを使い切ったとき。
補充すればいいんだけれど,まあ,いいか。
洗濯物を干すとき。
シワのばしをしておけばいいんだけれど,まあ,いいか。
顔を洗ったあと。
ちょっと気になる産毛を剃ればいいんだけれど,まあ,いいか。
そんなふうに「まあ,いいか」という言葉で,ちょっとしたことをしないことが多い。意識してみると,思っている以上に「まあ,いいか」って思っている。
ちょっと伸びた爪も,まあ,いいか。
そんなふうに。
いま必ずしなければならないほど,大きなものではないけれど,しておいた方がいいんだろうなとは思う。だけど「まあ,いいか」って,見て見ぬ振りをする。それをしなかったからといって,何か他に意義深いことしているわけでもない。
ただ,なんとなく,面倒なのだ。
してしまえばすぐに済むような小さなことだからこそ,「まあ,いいか」って。
そんな「まあ,いいか」は,塵も積もれば山となる。
小さなことも,たくさん積もれば,するためのエネルギーがたくさん必要な大きなことになる。
「まあ,いいか」は,「もう,いいや」になる。
そうやって,少しずつ生活を蝕んでいく甘い言葉「まあ,いいか」。
だから,「まあ,いいか」を「まあ,やっておくか」。
気づいたときには,少し生活が心地よくなっている。
これをていねいな暮らしって言うのかもしれない。