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そのために、この街でもう少し、言葉にしておきたい。
転機になる気がして、指が進むままに書きます。どうしようもない文だけど、それでも応援してくれる人がいたら、嬉しいです。おこがましいかもしれないけど、それでも、今日は書きます。
noteを始めた理由は、しがらみを感じることなく、自分の考えていることを言葉にしたかったから。
そうでもしないと、自分が何を好きで、何を考えていて、何をしたいのか、どんな自分でありたいのか、わからなくなりそうだったから。
元々、気が向いたら書く日記、というには大げさだけど、もやもやしたことを吐き出すノートは作っていた。お守りのようにいつも持ち歩いていて、仕事の前後に吐き出しておくためのノート。
誰かにもやもやを話したくなかった。誰かに話すときは、言ってはいけないこと、聞かれちゃまずいことを考えて、オブラートに包む。だから、何も考えずに吐き出せるノートをお守りにしていた。
それでも、noteを始めたのは、そのノートに閉塞感があったから。
前向きに生きていきたいけど、あのノートがある限り、傷を舐め続けているだけで、何も変わらない気がした。自分に素直になって言葉にしたいけど、何のしがらみもないノートには、自分との対話は生まれなかった。ただ、吐き出しているだけだった。自分は悪くないって、正当化し続けていただけだった。
だから、noteを書く中で、現実とは違う自分になってみようと思った。こうだったらいいのになっていう、架空の、理想の自分。
だけど、noteを書くのは、紛れもない、飾りようのない自分自身。noteを書く中で気づいたのは、自分の中に何かを生み出せるほどのものがないことだった。
今日も、友達の知り合いの知り合いに会ってきた。この前とは、別の人。今回はどんな仕事をしているかがメインだった。勤め仕事を辞めて、起業した人。アカデミックな人。
自分がビジネスの世界に生きていないから、なんとなく、起業とか、ビジネスとか、新しい分野を開拓していくことに疎遠な気がしていた。すごいなーって思うだけで、自分事にはならない世界だと。
だけど、それは違うんだと感じた。
元々は博士課程に行きたいと思っていたし、研究として突き詰めたいことを持っていた。研究室の同期と合わなくて、メンタル崩して、教授の顔色をうかがうのが嫌で、逃げた。
そして、今は、その分野での研究をし得る仕事をしている。研究がメインの仕事ではないけれど、研究ができる立場にある。
なのに、どうして、あれほどしたかった研究をしていないんだと。理由は、いくらでも挙げることはできる。忙しいとか、時間がないとか、タイミングが悪いとか、なんとか、なんでも。
だけど、そんなことは理由にならない。せっかく出会った突き詰めたいと思っていたことに蓋をして、怖くて、できない自分を認めるのが怖くて、挑戦をしていないだけなんだと。
突き詰めたいことは、その分野では生まれたての分野で、その価値が広く共有されていないし、理解もされていない。そもそも、存在すら知られていない。それを既存の枠に組み込んでいくことは、容易ではない。いろんな批判がある。
それでも、日本という国に価値があると、信じている。
信じているはずなのに、懸命にやってなかったじゃないか。自分ができることをやったのか。言い訳ばかりで、行動したのか。やってないとは言えない程度にやって、なんとなく済ませてるんじゃないか。
新規開拓の分野で起業した人をみて、なんて自分は生ぬるいんだと。仕事は嫌なこともある、嫌な人もいる、だけど、リスクなくチャレンジできるじゃないか。リスクがあるとすれば、うまくいかなかったときに「あの人、何やってるんだろうね」って冷ややかな目で見られることくらい。
結局、人の目が怖くて、動けていないだけ。
この街であと1週間過ごす。
この街で30になる。
ちゃんと言葉にできたか、わからない。
だけど、自分を信じて、やりたいことを突き詰めたい。
そのために、この街でもう少し、
言葉にしておきたい。