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福生という町で育ってきた⑥2023年
母親とぼーっとゆく年くる年を眺めていたら、オープン前のエスコンフィールド中継を中学の同級生がやってて母と変な声出したのが2023年の始まり。
生活の設計フロントマンである大塚君のインターン仲間、小山凌はNHKのアナウンサーとなっていた。
ゴールデンウィーク、ついに福生チキンシャックを訪れることができた。
真昼間のDJイベントだった。ビールを頼むと大瓶が出てきた時点で良い場所だと確信した。
浜松に
福生という町で育ってきた⑤社会人
就職で浜松に住み始めた。
浜松は楽器メーカーが多数あり、福生より圧倒的にデカい「音楽の街」だ。
とある同期に強く「ジャズをやろう」と誘われた。初心者向けというので行ってみた。ここで人生初めてのセッションを経験した。
技術もなければジャズスタンダードの曲も知らないから当然だが、初めてはトラウマ級に散々だった。己の無力さと今までの甘さに絶望した。世の中には楽器の上手い人がこんなにいるのかと思った。
福生という町で育ってきた④大学
大学生になったら本気でバンドやるぞと意気込んでいたが、結局大学のコピーバンドサークルに全身ドップリ浸かり、大学生活のほとんどを捧げた。
一瞬、サークルの同期を誘ってオリジナルも試みたが、当時の自分は臆病さとプライドで自分の曲を人に見せる勇気が無く、結局何もできなかった。
結局どう転んでも無理だったのかもしれない。
家の経済状況のためにも、実家から通える国公立に頑張って進学していた。
しかし中央
福生という町で育ってきた③高校
青梅線でも通える、立川の隣にある高校に進学した。
陸上部を続けつつ、兼部してバンドを始めた。
同じ木曜休みだった陸上部とハンドボール部の同期で、毎週木曜練習するから「Thursday」という、安直な名前のバンドを組んだ。今思い返してもいいバンド名だったと思う。
バンドはメンバーそれぞれの趣味でスピッツ、ミスチル、9mm、アジカン、monogrightなどコピーしていた(並べると変なバンドだ)。バ
福生という町で育ってきた②中学
治安の悪い地域の治安の悪い中学にそのまま入学した。
下手すぎて泣いてばかりだった野球は続ける訳もなく、軽音楽部ももちろん無い。結局、ちょうど入学と同時にできた陸上部に入った。
中2から陸上部に入った星君の影響で太鼓の達人を始め、それからは音ゲーばかりやってた。16号沿い、横田基地向かいだが街からはだいぶ離れたラウンドワンにばかり行ってた。
ギターは教えてくれる人もおらず、やってる友達もいない。
福生という町で育ってきた
小学時代自分は1歳3ヶ月から大学1年までの約18年間、福生市という東京の片田舎で育った。自分の出身地と聞かれたら、間違いなく福生と答える。
福生はアメリカの空軍基地である横田基地が面積の1/3を占める。その流れでジャズやブルースも盛んで「アメリカと音楽の町」と呼ばれている。
だがそれが色濃い、国道16号沿いも福生駅前の赤線通りも、とても子供が行けるような治安の場所ではなかった。
だから、それら
スマブラで3年8ヶ月かかってやっとVIPに入った話
はじめにタイトルの通り、「マジで才能ないから辞めた方がいい」人がおそらく史上最長日数でVIP入りした経緯と所感です。
なかなかVIP上がれない人の希望になれば、また強い人や「始めて○ヶ月でVIP」という才能のある方は「スマブラ下手な人ってこんな感じなのか」と思ってもらえたら幸いです。
自己紹介(VIPになるまで)幼少期: スマブラDXを友達とプレイ。ゲームがあまりできない家だったのもありガチ地元
すき家の"シーザーレタス牛丼"について語りたい
現代日本のファストフードの代表といえばそう、牛丼。注文すれば5分以内には提供され、値段は400円未満、たぶん自分で作るより安いし、間違いなく自分で作るよりうまい。
そして何より「どこ行ってもある」。大井町線なんか牛丼屋が無い駅前が見当たらないレベル。吉野家、松屋、すき家と三大チェーンが各地しのぎを削りあっている。
肉を活かした王道の味、ブランド力と歴史の吉野家。
ハンバーグ定食やキムカル丼といっ