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福生という町で育ってきた

小学時代

自分は1歳3ヶ月から大学1年までの約18年間、福生市という東京の片田舎で育った。自分の出身地と聞かれたら、間違いなく福生と答える。

福生はアメリカの空軍基地である横田基地が面積の1/3を占める。その流れでジャズやブルースも盛んで「アメリカと音楽の町」と呼ばれている。
だがそれが色濃い、国道16号沿いも福生駅前の赤線通りも、とても子供が行けるような治安の場所ではなかった。

だから、それらと全く無縁に育った自分や家族にとって、福生に音楽の匂いなんて全く感じず、ただの田舎でしかなかった。

小学生時代は流行りの音楽が大好きで、クラスの流れに漏れずORANGE RANGEが大好きだった。
ピアノを習ってた妹と異なり楽器には縁がなく、少年野球に明け暮れた。
だが人一倍音楽が好きだったのを察してか、色々あって6年生の時に親から5000円のギターを買ってもらった。

土地柄、小学校にはアメリカ人やフィリピン人、もしくはそのハーフが各学年に1人はいた。少年野球チームにも、1個上にアメリカ人のケニー君がいた。とても陽気でパワフルでみんな大好きだったが、中学に上がる前にアメリカに引っ越してしまいそれ以来会っていない。

授業の一環で、1個上はロックバンドもやってた。
ケニー君がボーカルで、Deep PurpleのSmoke on the waterをやってたのをよく覚えている。
ベースとドラムは先生だったか、彼らの同級生だったか覚えてない。
ただ、小学生でDeep Purpleを弾く姿が凄くて、ギターだけは鮮明に覚えていた。

その人の名を岡田拓郎さんといった。


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