福生という町で育ってきた④大学

大学生になったら本気でバンドやるぞと意気込んでいたが、結局大学のコピーバンドサークルに全身ドップリ浸かり、大学生活のほとんどを捧げた。
一瞬、サークルの同期を誘ってオリジナルも試みたが、当時の自分は臆病さとプライドで自分の曲を人に見せる勇気が無く、結局何もできなかった。

結局どう転んでも無理だったのかもしれない。


家の経済状況のためにも、実家から通える国公立に頑張って進学していた。
しかし中央線の通勤ラッシュと終電の早さに耐えられず、結局2年からは「世田谷区で一人暮らし」と経済的に一番負担をかける形となった。
福生での暮らしは19歳と半年で幕を閉じた。

引っ越し前の思い出に、16号沿いにある、世界一ギター詳しいお婆さんが一人でやってる中古ギター屋を訪れ、古いオベーションを¥15,000で買った。
特徴的な音で結構気に入っていたが、1年後に電装が壊れ使えなくなってしまった。


大学2年の夏、サークルの先輩が企画したBBQ、参加した他大のサークルに中学の先輩がいた。
大塚さんというバスケ部の人で、まさしく中学時代、昼休みの音楽室でギターを練習してた一人だった。
大塚さんはメタラーとなり、さらにベースもドラムもできるスーパーマンになっていた。
音楽室の隅で一人弾いてた、自分の事は覚えてなかった。だがその後もサークルのライブの打ち上げでまあまあ会う仲となった。

何かの打ち上げで、そういえば岡田さんって今何してるんですかね、と聞いてみたところ
「一度福生駅で偶然会って、今やってるバンドの音源を聴かせてもらったけど、マジで凄い」とだけ言っていた。

中学の陸上部男子は先輩と毎年正月に同窓会をやっていた。
陸上部の先輩にその話をしたところ、ついに「森は生きている」という名前に辿り着いた。
(デモCD貰ったとも言ってた気がする、今思うと死ぬほど羨ましい。)


早速聴いた。中学の思い出から完全にハードロックやブルース系だと思っていたが、全く予想していなかった音楽がそこにはあった。
J-POPと邦楽ロックと一部のUKロックばかり聴いてた自分にとって、あまりにも新しい扉だった。

シティポップの時流も相まって、音楽の趣味は一気に変わった。
特に岡田さんとの対談動画で知った吉田ヨウヘイgroupにハマり、狂ったように聴いていた。


ところで、中学の同級生がFacebookで「インターン仲間がやってるバンドが福生でMV作ってる!」と投稿した。
そのバンドは恋する名盤といい、インターン仲間は素晴らしいメロディメーカーだった。今は生活の設計という、またカッコいいバンドをやっている。

その後、Tempalayの革命前夜も福生でMVが撮影されることとなる。ちなみにこのロケ地であるデモデダイナーのハンバーガーは本当に旨い。


修士2年の11月、OBライブで学生時代最後にコピーしたのはnever young beachだった。
会心の出来だったが、残念ながら映像も音源も残ってない。


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