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心を亡くさないために


「お忙しいところ、すみません」


「お忙しいところ、すみません」

「忙しいのに、ありがとう」

といった定型文のついたメール、
多くのひとが受け取ったことがあるのでは?

たかが、あいさつ。
されど、あいさつ。


ここ最近、「忙」という字に目が引っ張られてしまう。

見かけるたびに蓄積されていった
私の「忙」への考えを書き出してみたい。



忙しいひと、忙しい店



忙しい…
①急がずにはいられない。落ち着かない
②ひまがない。用が多い。多忙である

広辞苑


②の「ひまがない」「用が多い」とは、
どちらかと言うと幸せではなさそうな、
セカセカと何かをしなければいけない
雰囲気を想像してしまう。

その、多い「用」に直面することを
選んだのは、自分だろうに。


「忙しい」

人間が主語になるとき、
自由から離れた状況に
ちょっとかわいそうに聞こえる。

忙しいならやめればいいのに…と思ったり。

一方で、
「今日も忙しいお店だった!」
と聞けば、それは誇らしい状況を物語る。

もっと忙しくなりますように!なんて
祈ることだってあるくらい。


なんか、面白い言葉。




心を亡くす前に点滴を


「忙しそうだね」「忙しい時にごめんね」
なんて言われたら、
私は一時的にめちゃくちゃ落ち込む。

なぜなら、
私にとって「忙しい」とはーー。


「心」を「亡くす」状態になっていること
だと思っているから
ひと様にそう映っているなんて悲しすぎる。

いつ、誰に教わった考えかは忘れたけれど
少なくとも意識的に「忙しいです」とは
言わないようにしている。


「忙しそうだね」と言われたら
一旦、抱えているすべてを手から下ろすようにしている。

スマホを閉じるようにしている。
持ち物を手放すことにしている。
溜まった汗を放出するようにしている。


心が亡くなりそうなときにすべきことは、
焦って終わらせる、がんばりきることではない。


生き延びたいのに死にかけているとき、
体に点滴を打ち、栄養を送るように
心にも点滴をあげ、栄養を与えること。


忙しいのを決めるのは。


私は、「忙しい」とひいひい言うことを
びっくりするほどダサいことだと思っている。


忙しくなる原因は、

詰め詰めの予定を入れた
出来なさそうなことを出来ると言った
無計画な計画を信じた
怠惰に先延ばしした

他でもない 自分なのだ、

自分が選んだ 栄養失調になる行動なのだ。


では、栄養摂取する行動とは何なのか。

いつも余裕なそぶりで
あらゆることを熟してしまうあの人を想像する。

信頼あるひとを上手に頼ること、
不要なもの・ことを手放すこと、
買うべきでない困難を潔く諦めること、

そして、ちゃんと休み、ちゃんと安らぐこと。

イソガシイになりそうなときこそ、
この心の点滴を打ちまくることに努力を向けたい。


きょうも朝がやって来る。
きょうも絶対しあわせな1日にする!

そう思ってお布団から転がり起きる。

本当にそうなるから、ぜひ。



心は亡くさず
心は悦がらせて過ごしたい、


「お忙しいところ」を決めるのは、私だもの!


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