死ねば苦が終わると思うな ルアンプー・プラモート師
何人もの人が苦(ドゥッカ)が生じ
心が非常に苦しみもがき
首を吊って自殺します
非常に鬱になるのです
首を吊って死ねば
自殺すれば
この苦しみから逃れられると思っているのです
なぜならば
心がその「飾り立てられたこと」にはまり込んでいるからでです
しかし
死ねばそれから自由になると考えてはいけません
以前こういう人がいました
その人の家はタウンハウスの中にありました
ルアンポーは自分の家で寝ていました
早朝の朝4時か5時ころだったと思います
女の人が泣いている声が聞こえてきました
そして
家の前を通り過ぎて行ったのです
この人は瞑想が好きな人でした
目も耳もあるのに何故泣いているのか
不思議に思っていました
ルアンポーは心を外に向けてその様子を観て見たのです
そして
女の人が歩きながら家の前を通り過ぎていくのが観えました
すると
足がこのくらい(15センチメートルくらい)浮いているのです
そして泣き続けているのです
やがて朝が来ると
集落の人々が大騒ぎをしていました
そして
「あの女の人が家の中で首を吊って死んでいた」と
言うのです
誰かが何か普通でない様子を感じ
家の中を覗き見てみたら
首を吊って亡くなっていたのを目にした
ということでした
苦がある事
修習(バワナー)したことが無い人にとって
苦はこの人生で永遠に終わらないものだと
思い込んでしまうのです
「もしも生きていくことは苦しか無いのであれば
生きていない方が良い
だから死んだほうがましだ」と
「死ねば苦から自由になれる」と思っているのです
・・・
もしも人間であるならば
苦はあと何年続くでしょうか
人間の苦は長くづづかないのです
しかし
もしも自らを殺してしまうのならば
罪はとてつもなく重いのです
そして地獄に落ちるのです
地獄は誰もそこに閉じ込める者はいないのです
ただ耐え難い苦しみなのです
ただ苦しみの層が折り重なっているだけなのです
そして
地獄の生命の寿命は大変に長いのです
何百年、何千年あるかわかりません
しかし人間ならば
その苦しみは5年か10年なのです
10年も苦が続く人を見たことがありません
2年も続けば重いのです
しかし
自殺した瞬間にその苦は
何世紀にも及ぶのです
何年という数え方はもはや出来なくなるのです
ですから
何が起こっても自殺してはいけません
仏歴2567年9月1日
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