仏教本を沢山読めば解脱できますか?ルアンプー・プラモート師
私達は戒(シン)を持ち
心を定めるように毎日訓練しなければなりません
そして心に力をつけなければなりません
残りの時間は
智慧(パンニャー)を高めることに使うのです
目・耳・鼻・舌・身体・心に対象がぶつかり
心に変化が生じます
それをサティ(気づき)で知ることを間に合わせるのです
そのようにして”それ”と共にいるのです
多くの事を知る必要はありません
煩悩を知る事を間に合わせるのです
自分自身の心を知る事を間に合わせるのです
これだけで十分です
知りすぎる必要はありません
三蔵を全て暗記して唱えられるほど知識だけの人
仏陀は「ボーティラ」と呼びました
空(から)の貝葉(ヤシの葉の様な植物)の事で
”心にダンマが無いこと”を指摘しました
心にダンマを持とうとするのであれば
修習(バワナー)しなければなりません
ルアンポーはかつてプッタタート師に尋ねたことがありました
「先生。先生はダンマの本を沢山書いておられます、
もしも、先生の本を全部読んだら
預流果(ソーダーバン)になれますか?」と
尋ねたことがありました
プッタタート師は
「出来ません」と期待を全く打ち消すかのような声で
答えたのでした
沢山読んできたのに
師は「全く無理です」と答えるのです
そして師は続けて
「法の実践をしなければそれは無理な事です」と続けるのです
修習(バワナー)し、法の実践が必須なのです
ですから
戒(シン)を心して持ち
定(サマーディ)を毎日訓練しなければいけません
そして
智慧(パンニャー)を高めるのです
目・耳・鼻・舌・身体・心に対象がぶつかり
心に変化が生じたことに
知ることを間に合わせるのです
煩悩(キレート)を少しづつ洗い流していくのです
大きな煩悩
小さな煩悩
詳細な煩悩
煩悩には5つあります*
ルーパ・ラーカ(色界:物質への欲)
アルーパ・ラーカ(無色界:物質以外への欲)
マーナ(慢心)
ウッダッチャ(掉挙:じょうこ)落ち着きのなさ
アヴィッチャー(無明)の5つです
少しづつ洗い流すのです
ただし
私達の意思で洗い流すのではありませんよ
サティを持つことで
心を洗い流されるのです
それが十分になった時
自然に洗い流されるのです
仏歴2567年11月17日
*プッタタート比丘(ターン・プッタタート の法施図書室)