身体の苦は心の苦ではない ルアンプー・プラモート師
身体の苦(ドゥッカ)は自然で普通の事です
そこから逃げることはできません
私達は老いて
病になり
死ななければなりません
それは全ての人にあてはまります
ですから
身体に苦が生じた時には
私達は本当のことを認めて受け入れなければなりません
それは
”身体は老いて、病になり、死ぬものである”ということです
私達が身体について認め受け入れられるようになったのならば
のたうち回るほど困難になる事は無いのです
年老いた時
それは普通の事であると感じるようになるのです
病気になったとき
それは普通の事であると感じるのです
死ことであっても
それは普通の事であると感じるのです
悲しみに落ち込まなくなるのです
苦は身体にだけ生じるのです
心までは苦は届かないのです
私達が身体を観に行くとき
身体は苦(ドゥッカ)しかないと感じるのです
小さい苦があり
大きな苦が長い時間の後に来るのです
小さな苦とは
疲れたり
空腹であったり
のどの渇きであったり
大便意
小便意であったりします
身体の苦はいつも出会っているのです
暫くぶりに病気になり
重い病気であれば死ぬこともあります
あるいは元気でいても
車に撥ねられ死ぬこともあります
もしも
身体の本当の姿が
身体には苦しか無く他には何もないと観え
それを受け入れることが出来なのならば
問題は身体は苦であると認め受け入れることが出来るかどうかなのです
このことを認め受け入れることができれば
身体が苦であっても心は苦のならないのです
しかしもしも
認め受け入れることが出来ないのならば
身体に苦が生じた時
心にも苦を連れてくるのです
苦が二段階になっているのです
しかし
もしも修習(バワナー)を続け
身体の本当の姿を観るのならば
身体は愛でるものでも無く
心配するものでもなく
日々朽ちていくものなのです
それはタンマダー(自然)のことなのです
私達がタンマダー(自然)の事が観える時
それはダンマなのです
ダンマとはタンマダー(自然)の事なのです
しかし
私たちの心に「欲しい」が生じるとき
それは自然(タンマダー)な事では無くなるのです
年老いたくない
病気になりたくない
死にたくない
自然(タンマダー)ではない事を望むと
それは苦(ドゥッカ)になるのです
仏歴2567年7月22日