四聖諦 明確に心を知る⑤ ルアンプー・プラモート師
(続き) ですからアチャン・マン師がルアンプー・ドゥン師に教えたことは
非常に適切で洗練されているのです
サンカーラ(行)を観るように教え
サンニャー(想)は一時に留まらないものであり
サンカーラ(行)もサンニャー(想)も無我(アナッター)である
私達は先生方の法話を聞いたり
仏教書を読んだりするとボーっとして
重要な事が分からないということがあります
しかし
ルアンプー・ドゥン師は核心を理解するまでに
長い時間は掛かりませんでした
四聖諦で心(チッタ)を絶えずはっきりと観ていたのです
もしも
心(チッタ)が外に向かっていくと観えるのならば
それは集諦(サムダヤ:苦の原因)なのです
心(チッタ)が外に向かっていくとは
心が渇愛(タンハー)にはまり込んでいるということです
渇愛(タンハー)とは心(チッタ)が飛び出る程欲しがるということです
ただの欲しいではありません
「飛び出る程」という形容詞が付いているのです
渇愛が生じた時
心は目耳鼻舌身心に向かって「飛び出して」いくのです
色音匂味触感感情を求めて飛び出していくのです
これが「心が外に向かっていく」ということです
心が外に向かっていくとは
心が目耳鼻舌身心から得られる感覚に耽溺しハマり込むということなのです
(続く)
14:03~