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頭髪・体毛・爪・歯・皮膚の観察方法 ルアンプー・プラモート師

身体を観察するのですよ

頭髪は「わたし」ですか?

体毛は「わたし」ですか?

爪は「わたし」ですか?

歯・皮膚・骨は「わたし」ですか?

最初の5つは重要ですよ

頭髪・体毛・爪・歯・皮膚は

観察するのが容易です

これらに「わたし」というものは無い

これらは「わたしの思い通りにすることは出来ない」と

髪の毛一つを取って観察するのです

外見はどうなのか

色はどうなのか

匂いはどうなのか

それは

美しくもなく

清潔でもない

それらに命じることが出来ない

髪の毛が落ちてきます

すると

頭から髪の毛が落ちたり

髪の毛を切ったりすると

その髪の毛はもはや

「私のものでは無い」と感じるのです

髪の毛が頭についている時

私達は「これはわたしの髪」と感じるのです

しかし

髪を切った瞬間に

これは私のものとは感じなくなるのです

本当は

それは「わたし」では無いのです

なぜならば五蘊が集まると

サンニャー(識)が入り込み

「わたしがいる」と感じるからです

髪の毛がご飯に入ると

食べたくないと思います

ある人は食事を注文し

調理の人の髪の毛が入ると

気持ち悪くなり

汚い

食べたくないと

感じるわけです

ですから

美しいものでは無いのです

一時に留まらず

苦(ドゥッカ)なのです

無我(アナッター)なのです

あるいは体毛

眉毛

腋毛

髭(ひげ)を

毎日剃ったりします

これらは

身体についている時は「わたし」と感じるのですが

剃り落とした後にはもはや「わたし」とは感じないのです

もしも

これらをご飯にふりかけたならば

吐き気がするほど気持ちが悪く

とても食べられるものでは無いのです

髪・体毛・爪

爪は

身体についてる時には

「私の爪」なのですが

切った瞬間に「私の爪」では無くなるのです

ご飯にふりかけたのなら

気持ち悪くて食べられないのです

汚いのです

ですから

この様に観察するのですよ

髪の毛・体毛・爪・歯

歯も

私達の口についている時は

「私の歯」ですが

歯が抜けた瞬間にその歯は

気持ち悪いものになるのです

可愛くもなく

いつまでも見ていたいと思うようなものでは無いのです

朽ちてしまった歯は「わたし」では無いのです

皮膚

擦れた皮膚

剝がれた皮膚

腐った皮膚

病気になった皮膚

それを観ると

美しいと思わないのです

「わたし」では無いのです

「わたしのもの」では無いのです

最初はこのように観察する訓練をするのですよ

心がまだ三相(無常・無我・苦)に観えないのならば

この様に観察するのです

頭髪・体毛・爪・歯・皮膚は三相であると理解して観察するのです

そして

心が身体の三相を観る事に柔軟になり

サティ(気づき)が生じると

心が定まり

自動的に三相(無常・無我・苦)が観える様になるのです

仏暦2565年5月1日


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