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徳(ブン)はお金をかける必要はない ルアンプー・プラモート師

布施をする機会があるのならば

布施をするのです

しかし

相応しく布施をするのですよ

お金を掛けない布施というものもあるのです

例えば

比丘が剪定したり、木を植える事

草を刈り、気に水やりをすること

これは身体の力を使って行われる布施です

あるいは献血によって血をあげること

これは高い段階の布施になるのです

これはほとんど自分の臓器を犠牲に他の為にしてあげる事です

自分の目を犠牲にし差し出したりすること

これも布施なのです

100万バーツの布施をするよりも高い徳(ブン)なのです

あるいは

他の人に怒っているにもかかわらず

許しを与えること

これも布施なのです

これも高い布施なのです

もしも

私達がバワナー(修習)しダンマを理解し

そして

ダンマを引継ぎそして伝えるならば

ダンマの布施です

最高に高い布施なのです

また

戒(シン)もお金をかける必要はありません

わかりますか

布施はほとんどお金がかからないものばかりなのです

戒を守る

サマターン・ウィラットと呼ばれる戒を守る事は

心に決めて5つの悪業・不善から離れることを呼びます

そうしたならば

サティ(気づき)を保ち

自分の心を知っていくのです

戒を破りたい気持ちが湧いてきたら

それに気づいていくのです

そして

戒律を破ることの罪と苦(ドゥッカ)が

観えるようになるならば

これらを破る事に対して恥を感じるようになるのです

それは

心が高まっていくということなのです

天界の段階まで上がっていくのです

そして私たちはサマーディ(集中・安定)を訓練するのです

これらすべては

それぞれ一つずつ順番に実践しなければいけない

ということは無いのです

布施を先にしなければならない

ということでは無いのです

戒を守ってから瞑想するということでは無いのです

これらすべては同時に行って構わないのです

待つ必要はありません

布施をする機会に出会うならば

布施をするのです

戒を守る機会があるならば

守るのです

サマーディ(安定・集中)をする

機会があるならば実践するのです

サマーディはいつでもできます

心が身体と心と共にしっかりとある状態

心を漂わせたままにしてはいけません

感覚を感じるのです

それが「サマーディがある状態」なのです

仏歴2567年8月25日


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