「進撃の巨人」カヤに学ぶ、理性的で公平な思考
✔アマゾンプライムから削除された?進撃の巨人 the final season 70話
何の気なしにネットに出ていたこの出来事。みみのすけはつい先日、アマプラで見たので、ちょっと驚いて確認してみますと、70話はありました。消されたのが再配信されたのかどうかは分かりませんが、今は問題なく視ることができています。
ただ、いつもは月曜日には配信されていたのに、今週は配信が遅かったですね。そのことと、削除されたことに因果関係があるかどうかは分かりませんが、一旦削除されたことについては、アマゾンプライムから公式発表はなく、メールでの問い合わせに対して個別に対応しているようです。
削除理由について、多くは「ガビの思想と主張が問題視されたのでは?」という見解が多いようです。たしかに、物議を醸すのであればそこしか見当たらないでしょう。メールでの回答を載せている人は見当たらなかったので、アマゾン側がどう述べたかは分かりません。
また、エレン役の梶裕貴さんのtwitterも、過剰反応した一部の人たちによって炎上しているらしく、梶さんの心中察するにあまりまります。作品のいちファンとしては非常に残念な事態です。
✔「何かを想起」するのではなく「何を学ぶか」
みみのすけも、政治的な話はここではしたくありません。作品に問題があるとも思いません。作者自身が意図的にそうしていると発表しているならともかく、そうではないのですから。
以前取り上げましたが、「鬼滅の刃」見たジェンダーフリー思想の方が、作品に対して勝手にジェンダーの偏りを感じられて「作品に」問題提起されていたことや、「遊郭編」に対して文句を言っている人もいます。
今回もそれと同様に、ガビ(CV:佐倉綾音)の発言に勝手に日韓問題やナチスとユダヤ人問題を感じた方は多かったようで、それで物議を醸しだしているようです。例のガビのセリフは、たしかに歴史問題を想起させてしまうシーンではあります。
ですが、諌山先生が込めたメッセージは、本当にそんな政治的な問題なのでしょうか?みみのすけはそうは思いません。あれほどの人気作品です。物議を醸すことは分かっていて、あえてそういうシーンを描いたのは、どこか特定の国を批判してモノではないと考えます。
なにかを示唆しているのどうかではなく、作品のそのものや、様々なシーンから何を学ぶかが大切ではないでしょうか。そもそも、フィクションの作品に対して、現実の政治問題等を混合させるような発言は、個人的にはあまりしてほしくないと思います。
✔悲しく不毛な「戦争」
ガビは「駆逐してやる!」とか叫んでいた頃のエレンとそっくりなんですよね。自信過剰で自己過信なところも似ています。ただ、エレンの方が決断に迷いがありますし、洗脳教育の分、ガビのほうが厄介ではありますが。
ですが、自国を蹂躙され、大切な人を殺害され、敵に対して激しい憎悪を抱くところはリンクしていて、the final seasonではエレンとガビの立場を入れ替えて描いてあることは、諌山先生ご自身が仰っているようです。
特定の実在する国との関係の話でなくとも、多少歴史を知っていれば、エレンのような子供も、ガビのような子供もたくさんいることは分かります。いつの時代もどこの国でも、戦争をしている国では、珍しくありません。
自分たちが被害者だと思っていても、相手の国からみれば、自分たちこそ加害者であって、憎むべき相手となります。そしてそれこそが「戦争」です。個人では関係のないところで、国家として被害者であり同時に加害者でもある、そしてだからこそ、戦争は不毛であり悲しいのです。
✔ガビのアイデンティティを崩壊させたカヤの理性
母親が生きながら巨人に喰われていたこと、その様子をじっと見ていたことを、ガビとファルコ(CV:花江夏樹)に話すカヤ(CV:浜崎奈々)は、自分たちを「悪魔」と罵るガビに向かって「お母さんはこの辺で生まれ育ったからそんなに酷いことはしていないと思う…」と静かに話します。
ガビはそれでも、100年前の罪を罵るのですが、カヤは「100年前って、じゃあ、今生きている私たちは一体何の罪を犯しているの?」と、責めるでもなく静かに言います。
元々賢いガビは、言いながら、自分の理論が破綻していることにすぐに気づけますが、それでも、自分の正しさを守るために、必死に反論を続けます。が、いくら認めたくはなくとも、賢い分、ガビは自分の考えの方が破綻していることは頭では理解しています。
カヤはとても理性的で論理的で、冷静にガビを追い詰めました。本人は追い詰めるつもりはなかく、疑問を淡々と口にしただけだったのですが、結果的にガビのアイデンティティを崩壊させます。
✔作品を政治や特定の思想の色眼鏡で見ないで、純粋に作品を楽しもう
話を聞きながら自責の念に駆られたファルコは、母親の死の原因は威力偵察であった事を告白し、カヤに謝罪しますが、カヤは謝罪しなくてよいといいます。「マーレに生まれて来ただけだから」と、互いの立場を理解しているカヤはとても理性的で聡明で公平な視点を持つとても稀有な女の子です。
カヤは、その時自分を助けてくれた「少し年上のお姉ちゃん」がいて、その人だったら、ガビもファルコも絶対に見捨てずに助けてくれたはずだと言い、自分もお姉ちゃんみたいな人になりたいと言います。
事実、サシャを知っている人であれば、間違いなくそうしてくれていたことは分かります。ちなみに、カヤたち孤児を集めている育てているのは、サシャの父親ですね。
ですが周知の通り、そのサシャを殺したのはガビで、ガビとファルコを新設に迎え入れてくれた人は、サシャの父親で、カヤが「なりたい」と言ったその人こそサシャです。
「進撃の巨人」のストーリーの面白さは、まさにこういう残酷さを遠慮なく描くところです。エレンの母親を食べた巨人は、父親の元の妻でした。そういう残酷な因果関係を遠慮なく描くことで、その意外性とキャラクターの複雑な心情と幾重にも貼られた伏線こそ魅力的な作品です。
この作品はそういう部分にこそ注目して見て欲しいです。二次元の話を三次元の歴史問題とリンクさせるのではなく、あまつさえそれでいがみ合ったり問題にして言い合いするのではなく、作品自体を魅力をもっと掘り下げて楽しみませんか?