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2024年9月の記事一覧

肉体喪失から「身体」へと至る道筋

肉体喪失から「身体」へと至る道筋

先日来、肉体を喪失した三島由紀夫、2階から降りられなくなった芥川龍之介などなど、あれやこれやと考えてきました。

最初はこれ。

幼少期に内的自己をうまく育めなかった人は、生きるために外的自己を肥大化させ、ペルソナをつけることで、なんとか生き延びようとします。そうして肉体を喪失した人となり、自分が何者であるのかを見失うことになるわけです。

まさに三島由紀夫の「仮面の告白」であり、太宰治の「人間失

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クラインの壺のような梯子

クラインの壺のような梯子

今日も浜崎洋介さんと茂木誠さんの話から。

2階から降りられずに、「人生は一行のボードレーヌにも如かず」と呟き、やがて自決した芥川龍之介。

1階(内的自己)と2階(外的自己)を繋ぐ梯子を見つけられないという意味では、三島由紀夫や太宰治も同じなのかも知れない。それはある意味、すべての現代人が持ちうる普遍的課題と言えるだろう。

1階と2階を繋ぐための方法論として心理学的な構造を理解することも必要だ

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三島由紀夫の肉体喪失

三島由紀夫の肉体喪失

茂木誠さんと浜崎洋介さんが、三島由紀夫について話しておられるのを聞きました。

内的自己がじゅうぶん発達する前に、先に外的自己を発達させ、記号や言葉が入り込んでしまったのが三島由紀夫という人であったから、彼は肉体を喪失したままに、ずっとそれを探していたということなんですね。

いわゆる他者先手による自我形成というものが、どのような弊害、葛藤を生むのかということを彼の生き様から学ぶことができるのかな

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「オブスクラ 舞の発生」から少し時間をおいて

「オブスクラ 舞の発生」から少し時間をおいて

いろんな人の感想を読みながら、断片的な記憶をつなげながら、公演終了後の、ただただ興奮していた状態から、だんだんと脱し始めているような気がする。

さっき、こちらの河城さんのポストを読んで、突然にすべてを忘却している自分、自分が何者なのか全くわかっていない自分ということに気がついて、愕然とした。

思えば、「舞の発生」とは人間が自らの出自を問うようなことであって、しかもそれを観念でどうこうというので

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落下と無限後退

落下と無限後退

今日も川瀬統心さんの動画を見ながら考えたことを書きます。

落下することと、自己言及の無限後退には似た響きがある。

落ちていくことが怖いのは、どこにも安全に着地できないのではないかという事もある。しかし最も怖いのは、このまま永遠に落ち続けることになるかも知れないということかも知れない。

背後から自分を見るということは、実は前から見ていることであり、それはもともと自分がいたのは前であったことの発

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私たちはみな、哀しみの戦士たち

私たちはみな、哀しみの戦士たち

YouTubeを見ていたら、表示されたこちらの動画。前にも見たことのある、川瀬統心さんの切り抜き動画でした。

家系図の書き方には二種類あります。ひとつは先祖から始まり、たくさんの子孫が増えていくという、枝分かれ式の裾広がりの家系図であり、これがいわゆる普通の家系図です。

それに対して、もうひとつの家系図は自分から父母、祖父母と、過去に遡るほどに関わる人が多くなっていくというもので、これを逆家系

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最上和子さんの舞踏公演「オブスクラ 舞の発生」を見て

最上和子さんの舞踏公演「オブスクラ 舞の発生」を見て

昨日の最上さんの舞踏を反芻しながら今日は過ごしていました。本当に衝撃的と言っても過言ではない舞台でした。

後半現れた「別のもの」はまさに稀人であり、それは何万年もの間忘れ去られたように見えて、実は密かに凝縮し、熟成し、老成していった、ある種の化身とでもいうような存在でした。

それが立ち現れたのは、真っ暗だった舞台の窓が開かれ、そこから差し込む太陽の光と、今この瞬間の空気と雑踏の音が入り込んでき

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膨張、収縮、反転

膨張、収縮、反転

前回の8月25日の稽古でのこと。もうひとつ床稽古のことで書いておきたいことがありました。

いつも通りまず予備動作としてゆっくりと手を上げながら空間を広がっていき、広がりきったところからは収縮に転じて落ちていきます。

いつもはそのまま床に横たわって床の下の方に、重力を感じてさらに落ちていくということになるのですが、前回の稽古では少し様子が違っていました。

手をあげながら空間が広がっていくのを感

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