ドラマ「俺の家の話」は長瀬×クドカンの集大成であった。(第6話〜最終話を観て。)
鮮やかすぎる幕切れだった。
2021年1~3月にTBSで金曜夜10時に放送されたドラマ「俺の家の話」。
2月には第1話から第5話までをふまえて、このドラマの凄さについて記事を書いた。
その後の第6話~第10話も長瀬智也と宮藤官九郎両名に所縁のあるゲストが次々と登場するなど毎週毎週話題を呼んだ。
(ここまでSNSなどで話題を呼びながらも最終回のリアルタイム視聴率が10.2%というのがクドカンドラマらしい)
ドラマの後半パート、特に第9話・最終話はドラマ史に残る名シーンのオンパレードとなった。
2021年3月31日をもってジャニーズ事務所を退社し、表舞台からは一度離れた長瀬智也の有終の美となった本ドラマ。放送終了から約3週間も過ぎてしまったが振り返っていく。
1.豪華すぎるゲスト
バカみたいな感想だが後半もゲストが凄すぎた。うん、本当に。一体ゲストだけでドラマを何本作ることができるんだ。しかもほとんどのキャストが過去のクドカン作品に縁がある。
第6話から第10話までの主なゲストはご覧のとおり。
第6話
・阿部サダヲ(「池袋ウエストゲートパーク」「木更津キャッツアイ」「タイガー&ドラゴン」)
・紫吹淳
・池津祥子(「池袋ウエストゲートパーク」「マンハッタンラブストーリー」「吾輩は主婦である」「流星の絆」「監獄のお姫さま」)
第7話
・峯村リエ(「池袋ウエストゲートパーク」)
第8話
・佐藤隆太(「池袋ウエストゲートパーク」「木更津キャッツアイ」「マンハッタンラブストーリー」)
・矢沢心(「池袋ウエストゲートパーク」)
第9話
・塚本高史(「木更津キャッツアイ」「マンハッタンラブストーリー」「タイガー&ドラゴン」「監獄のお姫さま」)
・ムロツヨシ(「うぬぼれ刑事」)
・菅原大吉(「タイガー&ドラゴン」「あまちゃん」)
恐るべき「池袋ウエストゲートパーク」率。あれかな?アーティストが20年間でたくさんアルバムを作ってきたけどやっぱり1st Album最高!みたいな。
まずは何といっても6話のスパリゾートハワイアンズのシーンに出演したクドカンファミリーの幹部・阿部サダヲだろう。
TBSのクドカンドラマには「タイガー&ドラゴン」以来約16年ぶりに出演(長瀬智也との共演もそれ以来)を果たした。
これはこの16年間で阿部サダヲの俳優としての地位が飛躍的に向上し、クドカン脚本作品では映画と大河ドラマの主演しか担当しなくなった(「舞妓Haaaan!!!」「なくもんか」「謝罪の王様」「いだてん〜東京オリムピック噺〜」)ことにも起因する。
そして阿部サダヲが演じたのが各地のスーパー銭湯を回るムード歌謡グループ「潤沢」のメインボーカル、というこれまた要素テンコ盛りの役(言うまでもなく「純烈」のパロディです)。
「純烈」がまだ回っていないスーパー銭湯を訪れる、という設定もすごいが、本人である「純烈」メンバーもしっかりSNS上で反応するなど現実とのリンクとも万全だった。
クドカン作品での阿部サダヲの大きな魅力の一つでもある「コミカルさ」が前面に出ている役柄(売れていないころに出演していた、という設定の劇中のカラオケビデオでの演技もおもしろかった)で、今回も「池袋ウエストゲートパーク」の浜口巡査や「タイガー&ドラゴン」のどん太にも通ずるクセのある役柄を自然に演じていた。
そして同じくクドカンと一緒に活動している(来年再結成予定の)ロックバンド「グループ魂」で培ったパフォーマンス力が生かされた歌唱シーンもあるなど、1話のみの出演にもかかわらず大きなインパクトを残した(この出演が寿三郎役の西田敏行の提案によるものだったというから驚きである)。
また、これ以外にも「池袋ウエストゲートパーク」にて長瀬と近い役柄を演じた佐藤隆太・矢沢心が第8話のたった数分のために出演(佐藤隆太に至ってはまさかの逆オファー)。
さらに2010年の「うぬぼれ刑事」の時点では世間的には無名に近かったムロツヨシ。この11年で連ドラの主演を担当するまでランクを上げ、晴れてクドカン作品に凱旋。
佐藤隆太同様ムロツヨシも出演を懇願したというが、ムロツヨシほどの忙しい役者がスケジュールを調整してでも出たい作品となっていることが、作品の価値の表れともなっている。
個人的に印象深かったゲストは第6話でスナックのママを演じた「池津祥子」と第7話で弁護士役を担当した「峯村リエ」である。
この2人は「池袋ウエストゲートパーク」で窪塚洋介が演じたキングの彼女役を演じていた(池津が彼女1号の「ジェシー」、峯村が彼女2号の「キャシー」)。
2人に直接の絡みがあるわけではなかったが、「池袋ウエストゲートパーク」でとんでもなくアクの強い役柄を演じた2人が、21年の時を経て同じ作品に当時と180°違う役柄で出演していることは、脇役であろうと21年間しっかりキャリアを積み上げたことの何よりの証であるように思えた。
「池袋ウエストゲートパーク」に出演していた俳優が多数「俺の家の話」に出演している、ということはそれだけ多くの俳優が21年間現役バリバリで活動を続けてこれたということである。
「池袋ウエストゲートパーク」は豪華すぎるキャスト、という点で現在でも語り継がれているが、メインキャストだけでなくサブのキャストでも多くの役者が第一線で活躍し続けていることが「俺の家の話」で証明されている。
豪華すぎるゲストだったが、やはりクドカンドラマ常連である森下愛子にも出てほしかった、という思いはある。
まあ残すは寿一(長瀬智也)の死んだ母親(寿一は顔も覚えていないという設定)だけだったが、たしかに母親が顔出しで出てしまったら新たに違う方向に話が広がってしまうのでしょうがない気もする。ほぼリタイア状態だったらしいし。
2.シリアスとユーモアの塩梅
このドラマはとても感動するシーンが多い。
第9話の病床のシーン、第10話の能舞台中の寿一(長瀬智也)と寿三郎(西田敏行)のシーンなど。
そしてそれらの多くには当然だが「死」というワードが連想される。
他にも第8話以降、介護施設や葬式準備などのシーンも増えていったため、必然的に「死」というものを視聴者もより意識せざるを得なくなった。(第9話まではそれが主に寿三郎に向けたものだと思っていた)
なのでさすがにクドカンお得意の小ネタなども、さすがに成りを潜めていくものと思っていた。
しかしだ。クドカンは寿三郎危篤や葬式のシーンであろうと笑いを入れることをやめなかった。
一歩間違えば確実に不謹慎になったりストーリーのバランスが崩れたりしてしまうのに。
シリアスとユーモアのバランスが絶妙すぎたのは第9話の病床のシーン。
(ここまでの西田敏行の老いの演技がリアルすぎて、実際に死んでしまうんじゃないかと錯覚させるレベルだった)
寿三郎は何度目かの脳梗塞で危篤状態に。ここまでの話の中でも最も危険な状態であり、物語終盤ということもあり寿三郎の最期を覚悟した(一族や門弟も次々と病床に姿を現すレベル)。
だがクドカンはこんなシーンでもシリアスに振り切らないどころか、たっぷりのユーモアを含ませてきた。
心拍数がどんどん下がっていく寿三郎に向けて、観山家の面々は様々な言葉をかける。
だが孫・大州(道枝駿佑)はこう話しかけた。
「卒業したら錦糸町のガールズバー連れてってくれるって約束したじゃん!」
「俺の家の話」第9話より
なんちゅう約束してんだ。
そりゃ母親である舞(江口のりこ)もびっくりするよ。
だがなんと寿三郎の心拍数、ちょっと回復しちゃう。
そして寿限無(桐谷健太)からはなんと「全国のガールズバーからTikTokで応援メッセージが届いている」と報せが。
またちょこっと回復しちゃう。恐るべしガールズバー。
だが踊介(永山絢斗)が自分の演舞を見てほしい、と言うと少し心拍数が下がった。踊介、やっぱ不憫・・・。
だが締めるところは締める。
大喜利のような呼びかけが続くなかでシリアスサイドに一気に引き戻したのは長女・舞だった。
女性に生まれたことにより跡継ぎ候補から無条件で外され、また寿三郎の奔放な女性関係など寿一不在時の多くの家族問題に長年悩まされた舞の言葉は誰よりも重くのしかかった。
「簡単に許されると思うな」
「あんたは地獄行き」
「俺の家の話」第9話より
決して許すことのできない実父への言葉。もちろん舞も陰ながらずっと家族を、寿三郎を支えていた。だからこその愛憎が入り混じった舞の言葉は、江口のりこの演技力も相まって力強く伝わった。
そして「肝っ玉!しこったま!さんたま!」の大合唱。この言葉で感動できるなんて。
分かりやすく泣かせに来たシーンであるが、やっぱり本物の奇跡には感動してしまう。
寿一がまさかの死亡、というストーリーが展開された最終話でも、
・(寿三郎のために寿一が用意していた葬式セットを流用したため)結果的に自分で自分の葬式を用意してしまったと言われる寿一。
・寿一の戒名は、寿三郎のために長州力が用意した戒名「吹雪院親不孝革命居士」をモジった「吹雪院親不孝脛齧居士」。
・フリースタイルとなった寿一の弔辞では突如長州力が自身の入場曲「パワー・ホール」のメロディが「阿佐ヶ谷、次は荻窪~」に聴こえると言い出す。
・物語全体を通じて言い間違いの多かった舞、最終話でも「隅田川」の演目の際中に「セックスシンス」という名言を残す。
・亡くなった寿一の幻影から真剣に観山家を託された元婚約者・さくら。あろうことかその後踊介と結婚する。
・大州のその後の人生がドラマ1本創れるレベルに波乱万丈。
と感動的なストーリーの合間合間にジェットコースターのごとく小ネタが展開された。
最後まで「笑い」と「涙」、「能」と「介護」と「プロレス」。そのどれも捨てることなく1本の人情話として最後まで成立させてしまった。
3.脚本家・宮藤官九郎の構成力
あらためてクドカンってすごい。
最終話冒頭のミスリードもさることながら、そこに向けての笑えるシーンや能の教え、演目、これらのほとんどを最終回へ向けての伏線にしていた。
第9話でせっせと葬式の準備をする寿一や、長州力が寿三郎に授けたふざけた戒名、世阿弥の心得「離見の見」、そして寿一が舞う予定だった「隅田川」。
これらのシーンはすべて最終話における死後の寿一のために存在していた。
特に「隅田川」という演目。
この演目を知らなかったからこその驚きだったのだが、死んだ息子が念仏を唱えることによって一晩会いに来る、という「隅田川」の内容自体が最終話の暗示になっていた。
最終話中盤に挿入された回想シーンにて、寿一と寿三郎は能「隅田川」の上演の際に、死んだ息子の亡霊を出すべきかどうか、について話していた(世阿弥と観世元雅の間で行われた有名な議論)。
そこで寿一は寿三郎に
「俺が息子だったら出てくるよ、だって会いてえもん」
「俺の家の話」最終話より
と言い放った。
そして寿一は「隅田川」の演目通り、寿三郎に亡霊として会いに来た。
この文脈的な深さがあったからこそ、その後の寿一と寿三郎の対面のシーンの凄みが大幅に増したと考えられる。
宮藤官九郎は「タイガー&ドラゴン」にて毎話古典落語に合わせて物語を展開させる、という試みをしていた。そのときの経験が生かされるどころかドラマ1本を丸ごと「隅田川」の話に誘導するとは。
やっぱりドラマって面白い。やっぱり宮藤官九郎って最高。
そう思わざるを得なかった。
4.スーパースター・長瀬智也の(現時点での)最後
2021年2月の記事でも書いたが、このドラマは長瀬智也のジャニーズ事務所退所前ラストドラマであり、それにちなんだ演出やゲストが多く見られる。
第6話~最終話でもそれは変わらず、ドラマ全体が長瀬へのはなむけのようになっており、視聴者も思わずウルっと来る演出が多くあった。
細かいところで言ったら第6話で披露された「潤沢」の新曲「秘すれば花」の作詞作曲クレジット。
こちらは「作詞:なかにし札」「作曲:筒美洋平」となっていたが、これは長瀬が所属していた「TOKIO」の名曲「AMBITIOUS JAPAN!」の制作陣である作詞家「なかにし礼」、作曲家「筒美京平」のパロディである。
(なお、なかにし氏・筒美氏両名は奇しくもドラマ放映前の2020年中に旅立たれた。)
それだけでなく、なんと2018年のTOKIOの音楽活動休止以来観ることができなかった長瀬の歌唱シーン(「潤沢」の代打メンバーとして)が用意された。
彼の男らしく華のある歌声を活動休止前最後になんとか聴くことができたのは、長年のTOKIOファンの多くにとっても感涙ものであっただろう。
さらにこの回では寿三郎演じる西田敏行が「My Way」(フランク・シナトラ)を日本語で歌うシーンも用意された。
原曲は自らの人生を時に後悔を受け入れながらも振り返っていく歌詞が特徴である。
寿三郎の人生(主に女関係)を辿るような福島旅行編のラストで歌われたこの歌は、寿三郎本人そして観山家のメンバーだけでなく、役者である長瀬智也に向けても歌われたかのような、心に訴えかけてくるステージになった。
また、第9話では長州力がこのような言葉を寿一にかけた。
「レスラーなんて何回引退しても、何回もカムバックすりゃいいんだよ!」
「俺の家の話」9話より
あまりにも直接的な長瀬智也へのエールだ。別に裏方になろうが違う仕事に転身しようが、戻りたくなったら戻ればいい。ドラマの制作陣の長瀬への想いが強く伝わってくる。
そして最終話。
第3章でも書いた寿一と寿三郎の回想シーン。そこで「会いてえもん」と言い放った。
その言葉通り寿一は死んだにもかかわらず、彼が愛した、彼を愛した様々な人物の元に会いに来てしまう。
寿一の寿三郎への思いの根底にあった「褒められたい」という願望は結局生前に果たすことができなかった。そのため、寿一は「隅田川」の上演の際中に寿三郎にしか見えない幻影としてやってくる。
長瀬智也と西田敏行という2人の名優による"最後の"芝居。すごくないはずがなかった。(特に2人の表情。セリフがなくても画が持つどころかむしろ凄みが増した)
寿三郎からは「観山家の人間家宝」という称号を与えられた。
さくらには自分がいなくなったあとの観山家を託していった(その後さくらはあろうことか踊介と結婚し、寿一はナレーションでツッコミを入れていた)。
そして最終回ラストでは寿一は彼自身の追悼興行にて、今度は長州力にしか見えない幻影となって、再び「スーパー世阿弥マシン」として戻ってくる。
最後の長州力(もはや助演男優賞ものの活躍)とのプロレス。マスクの中の寿一、いや長瀬智也はどのような顔をしていたのだろう。
撮影順序などは知らないのであれがラストの撮影だったのかはわからないが、清々しいほどとびっきりの笑顔だったのではないだろうか。それくらいプロレスのシーンでの長瀬智也の芝居は「やり切っている」ものだった。
放送後、ザ・テレビジョンがネットに掲載した記事の見出しでは長瀬智也を「エンタメ界の宝」と評していた。
本当にその通りだと思う。
自分のボキャブラリーが貧困すぎるが、彼は本物の「カッコいい」人だった。
クドカンドラマにおける長瀬智也は、役柄は違えど基本的に役の本質は変わらなかった。
その時代その時代の空気を纏いながらも、バカで不器用でどこか憎めない、それでいていつも真っ直ぐな男を長瀬はずっと演じ、それが彼本人のイメージにもなった。
そして同じような性格の役でも「何を演じても長瀬智也」という声があまり出なかったのは、今回のドラマのように彼を輝かせたいという制作陣の意欲や創意工夫、演出も(もちろん本人の演技力込みで)大きかったのではないかと思った。
その結果、男女問わず多くの人から憧れられ(男も惚れるジャニーズ、ともよく呼ばれた)、彼の演じた役や出演したドラマは、放送後も語り継がれるものがほとんどとなった(それこそ視聴率以上に)。
木村拓哉とも岡田准一とも二宮和也とも違う長瀬智也にしかない魅力があり、クドカンドラマは彼が最も輝くためのフィールドの1つだった。
「俺の家の話」はまごうことなき俳優・長瀬智也、そして彼を愛した制作陣の集大成となる作品だった。
長瀬智也は俳優活動を再開する予定は今のところないが、「俺の家の話」を観終わり、やはりもう1回でいいから彼が画面の向こうで大暴れする姿を見たいと思ってしまった。この先の時代で長瀬智也がどのような「カッコいい」男を演じるのかが気になる。
そのドラマはもちろん脚本・宮藤官九郎、プロデューサー・磯山晶の座組で観てみたい。
そのうえで言いたい。
最高にカッコいい姿をありがとう、長瀬智也。
お疲れ様、長瀬智也。
長瀬君が戻ってこない場合、次のクドカンドラマの主役には是非道枝駿佑をお願いします。
以上。