安堂多留

妖怪や民俗的なお話が大好きです。 自分が今までに経験した不可思議な事をつらつらと書き留めていきます。 その他持病となった心疾患や橋本病の事、父と母の介護から看取るまでの事、最近ようやく出掛けられるようになったので旅日記も少しずつ書き残していこうと思っています。

安堂多留

妖怪や民俗的なお話が大好きです。 自分が今までに経験した不可思議な事をつらつらと書き留めていきます。 その他持病となった心疾患や橋本病の事、父と母の介護から看取るまでの事、最近ようやく出掛けられるようになったので旅日記も少しずつ書き残していこうと思っています。

最近の記事

病み患い日記#3 完全左脚ブロック

☆「病み患い日記#2 カテーテルアブレーション」の続きです。  大騒ぎのカテーテルアブレーションだったが、先生や看護師さんたちのおかげで無事、不整脈は止まった。  13時から手術が始まり、終わったのは16時過ぎ。終わってからようやく全身麻酔が効いてきたかウトウトしていた。もう何も心配しなくていいんだ…やっと安心することが出来た。  次の日の朝、右足付け根の出血を確認してもらい、少しずつ歩く練習を始めた。なるべく早く普通に歩けるよう食事も自分で取りに行った。  不整脈は治ま

    • 不可思議見聞録#3 花瓶

       Hの家で大きな横顔を見てから(「不可思議見聞録#2横顔」参照)、度々不思議なことが起きた。  私たちが帰ってしまうとHは一人になってしまうので、多少物音がしても、何となく気配を感じても気にしないようにして、なるべく明るく過ごすよう私たちは努力した。  しかしその日は、久しぶりに皆でゾッとした。  いつものように4人でHの家に集まり、楽しく話していた時の事。誰かが面白い話をして、皆でゲラゲラ笑った瞬間、 ゴトッ! と、大きな音がして、皆で音の方を見ると、壁に掛けてあった

      • 病み患い日記#2 カテーテルアブレーション

        ☆「病み患い日記#1 心臓だけは強いと思っていた」の続きです。  母が亡くなったのは夏の終わり。ポッカリ穴が開いたような気持ちだった。しかし年明けには次男の高校受験が迫っていたので、いつまでも落ち込んではいられない。    「もう自分の時間が作れるのだから、前から勧めているカテーテルで不整脈をしっかり治した方が良い」と主治医に言われ、大学病院を紹介してもらった。息子の受験前、何とか年内に終わらせたかった。  仕事に影響が少ない12月初旬に入院、カテーテルアブレーションが決定

        • 不可思議見聞録#2 横顔

           私が小学2年生の時、大きな団地に引っ越した。  新築の団地で、団地の中に保育園、幼稚園、小・中学校、スーパーマーケットに病院まで揃っていた。  遊び場もたくさんあって、子供たちにとっては夢のようだった。  新しい団地なので皆引っ越したばかり。  遊び場で「はじめまして。何号棟?何年生?」といった会話が飛び交い、同じ学年の子がいると「仲良くしてね!」とすぐ友達になる。  そして団地の子たちだけの学校が新しく始まり、友達も増え、毎日とても楽しかった。  引っ越して間もない頃、

          病み患い日記#1 心臓だけは強いと思っていたが

           45歳の頃からひどい貧血と下腹部の強い痛みが続き、内科では鉄欠乏性貧血と診断を受け、婦人科では子宮腺筋症と卵巣嚢腫であることが分かった。生理が終われば徐々に症状は治まると聞いていたので、日々痛みに負けないよう頑張った。  ちょうどその頃、父の介護があり家族皆がそれぞれ忙しい日々を過ごしていたが、年に1回の健康診断には欠かさず行っていた。いつも結果は婦人科系疾患について引き続き気を付けるよう言われるだけで、他は大きな問題がなかった。大きな問題ではなかったが心電図で「経過観察」

          病み患い日記#1 心臓だけは強いと思っていたが

          不可思議見聞録#1 黒い蝶

           私が物心ついた頃から続いていた或る事。  毎年夏になると、父と母と私は群馬県にある母の実家に1か月程滞在した。母の実家は農家で、夏はみょうがと枝豆の出荷があり、とても忙しい。私も幼い頃から袋とじや箱入れを従妹に教えてもらいながら手伝った。朝採った大量のみょうがを川で洗い、縁側に広げ、大人たちが等級をチェックしながら袋に詰めていく。主に叔母と母が袋詰めをし、袋とじや箱詰め、トラックに運ぶのは叔父と父、そして従妹や私の仕事だ。  次から次へと出来上がってくる袋を一生懸命ホチ

          不可思議見聞録#1 黒い蝶