宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』
宮地尚子氏のことを知ったのは、今年の『みすず』1・2月合併号読書アンケートのなかに、私の『海を撃つ』を取り上げてくださっていたからだった。専門領域も存じ上げないで、どういった方が自分の本に関心を持ってくださったんだろうか、と思っていたときに、たまたま「環状島」について触れてある文章を目にし、版元のみすず書房の紹介の文章に目を引かれた。というのは、この問いは、2011年の東日本大震災と原発事故以降、ずっと私を捉えて離さなかったものだったからだ。
「なぜあなたが(もしくはこの私が)その問題について語ることができるのか」「もっと悲惨な思いをした人はたくさんいるのではないか」にはじまる問いは限りなく、お互いの感情を揺さぶり、自身を責めさいなむ。
そして、取り寄せたのが上記の3冊。『震災トラウマと復興ストレス』は東日本大震災直後に、発災を受けて書かれたものだった。内容は『環状島』とも被るが、より実践的で、また内容が整理されている感がある。
幸福な読書体験とは、この本は自分のため(だけ)に書かれた本だ、と思える書物に出会えることだ。これらの本は、私にとってはそういう内容だった。まるで私の経験、私の悩み、私の考えを見透かしたように、多くのことが書かれている。惜しむらくは、これらの本ともっと早く出会っていたかった、ということだ。もし、もっと早く読んでいたら、もしかすると、私が震災後に抱いていた悩みの半分くらいは解消していたかもしれない。テーマとされているのは、災害や事件、事故を大きなトラウマ事象として捉え、それをめぐる発話を分析することだ。
トラウマについて語る声が、公的空間にどのように立ち現れ、どのように扱われるのか。被害当事者、支援者、代弁者、家族や遺族、専門家、研究者、傍観者といった人たちはそれぞれどのような位置にあり、どのような関係にあるのか。感情を揺さぶる前述のような問いに、どのような答えが可能なのか。
「1,トラウマについて語ること」『環状島=トラウマの地政学』7P
前提としてあるのは、トラウマについて語ることをいかにして可能とするのか、という前向きの問題意識だ。それは、トラウマについて語ることの難しさが、発話そのものの忌避を導き、結果として「トラウマそのものの忘却」がもたらされるといった事態が日常的に生じているからだ。
生き延びた者、語る能力をもつ者、支援者や関心をもつ者、研究者や専門家が口をつぐんでしまうことは、できごとが不可視可され、当事者の存在が沈黙の中に埋もれていく流れを加速化する。トラウマの記憶を社会から抹消してしまうことを容易にする。「1,トラウマについて語ること」『環状島=トラウマの地政学』6P
こうした不可視化現象は、既に福島事故を巡っては起こってしまっており、事故よりも前にこのように提起されていたことが生かされなかったこと、自分が生かせなかったことに対して、もっと早く読んでおけばよかった、との一抹の口惜しさは拭えない。
トラウマについて語ることを巡って起きる複雑なポジショナリティの問題を、「環状島」というユニークな概念で説明してあるのは、目が開かされる。本書では、内側がくぼんだ島(環状島)をトラウマの発話空間としてモデル化してある。その中心部は、トラウマのグラウンド・ゼロとし、そのまわりは中空構造となる。中空構造のくぼんだ部分を、環状島のメタファーでは「内海」とする。トラウマのグラウンド・ゼロを取り囲む部分(内海)がなぜ中空構造となるかといえば、もっとも手ひどいトラウマを負った者、あるいはそのただ中にある者は、声を出せないからだ。これは、災害や事件・事故のなんらかの支援活動や取材を行った人ならば、深く同意するところだろう。語る手前で絶句し、あるは取り乱し、言葉にすることができない。語る手前で、発話そのものを断念し、沈黙を選ぶ。そんな姿は、多くある。その内海を、山状の斜面が取り囲む。内海に面した内側の斜面には、発話することのできる被害当事者が、そして外に向かって下りる斜面には、支援者などの非当事者が立つ。山頂に近いほど、発言力は大きくなるが、そのぶん斜面にあたる「風」は強くなり、しばしば、発話者を振り落とそうとする。また、こうしたポジショニングは可変的なものであり、時間の経過や状況によって、環状島のどこに立つかは変わってゆく。
この概念を中心として、トラウマ事象の発話をめぐって発生する複雑な人間関係/力関係が丁寧に読み解かれていく。福島の原発事故後をめぐって起きた(いまも続く)論争についても、ここに書かれてある分析で、ほぼ理解することができるだろう。ひとつ、この著書の中に含まれていない新しい要素として、この本が書かれた当時2007年にはまだ一般的でなかったSNSが、その後、発話の主体となったことがあげられる。私なりに、「環状島」の概念に沿って分析してみると、SNSの隆盛は、環状島を高くする効果があったと同時に、斜面への風当たりを非常に強いものとした。そこで、振り落とされるものが続出し、関心をもたない傍観者(外海)の水位を上げ、結果として、環状島そのものを水面の下に沈めてしまうことになったかもしれない。もうひとつ、環状島を高くする効果があった、と書いたが、それは逆に言えば、内海を不可視化させる方向にも働いたかもしれない。つまり、外から見えやすい、共有されやすい、もしくは遠く離れた位置から興味半分に消費しやすい環状島(現象)ばかりが大きくなり、それがあたかも真のグラウンド・ゼロであるかのようにみなされると言ったことが起きてしまったように思える。本書で書かれる「円錐島」モデルに置き換えられてしまった、と言えるかもしれない。それは、外からの視点が圧倒的になることの弊害にもよる面もあるだろう。本書では、発話できないトラウマ受傷者たちが沈む「内海」をこんな風に表現する。
たくさんの人が倒れている。〈内海〉が見えてくる。〈内海〉は〈外海〉と似て非なる海だ。血の海。地獄巡りの池のように、ふつふつと熱の泡を吹き出す海。色は青くても毒に満ちた海。あるいは、波もなく一見静かな水面なのに、急な引き潮に足を取られ、深みにはめられていく海。
戻りたくても戻れない。見てしまったものを頭から打ち消そうとしても消えない。〈波打ち際〉からは溺れかけた人がしがみついてくる。引っ張り上げようとしても力は及ばず、むしろ引きずり込まれそうになる。ふりほどき、逃げ出そうとする。誰かがささやく。そこまで知ってしまったら、もう外には出られないよ。秘密を知りすぎたよ。
「9, 研究者の位置と当事者研究」『環状島』175P
臨床医として多くのトラウマ受傷者の治療にあたってきた著者だからこそ、書ける描写だと思う。言語化できない〈内海〉は苛烈だ。だから、それは大抵の人とは共有できず、共有は拒まれる。無理もない。共有すれば、また共有したその人も同じ傷を負わずにはいられない、そうしたものだからだ。だからこそ、深い受傷者のたたずむ〈内海〉は発話空間の中では中空となり、沈黙が支配する。SNSのような類型的、記号的な言説が支配し、また発話が主体となる空間において、〈内海〉の存在はいっそう見えにくくなる。そして、より〈外海〉から識別しやすく、受け入れやすい言説ばかりが大きくなり、やがて〈内海〉の存在そのものを覆い隠してしまう、というのがSNS時代の主潮流となったように思える。SNSのプラットフォームが限られていることも、「環状島」を小分けにしていくことの困難さを増し、本来はいくつも存在するはずの「環状島」が、福島問題と乱暴なひとまとめにされてしまったことも、問題を複雑にしてしまった。それは、時代の必然と言えなくもないが、なんとも苦い思いは残る。
少なくとも、災害や事件・事故の支援や取材、研究に携わる人には、こうした問題が起こりうることをあらかじめ認識するために、1度は目を通しておいて欲しい、そう思う。
『傷を愛せるか』(大月書店、2010)は、読んでいてほっとするエッセイ集だ。『環状島』もトラウマの発話空間という、重たいテーマを扱っているにもかかわらず、全編を通してあたたかみが漂っていて、それがテーマの重さをすくっているが、そうした著書の人柄があらわれたようなエッセイ集だ。いくつも心に残る箇所はあるのだけれど、冒頭の「なにもできなくても」という一編。友人が最愛のパートナーを失ったとき、なにもできなかったことについて書いてある。
そのとき、なにかが腑に落ちた。見ているだけでいい。目撃者、もしくは立会人になるだけでいい、と。
「なにもできなくても、見ていなければいけない」という命題が、「なにもできなくても、見ているだけでいい。なにもできなくても、そこにいるだけでいい」というメッセージに、変わった。
「なにもできなくても」『傷を愛せるか』12p
自分のことのように思えて、ひどく共感した箇所だ。私が行ってきた放射線の測定は、直接的に被災者の生活回復の役には立たない。測ったところで放射線が減るわけでなく、被災によって被った放射線による、あるいはそれ以外の被害も回復するわけではないからだ。そのことは、測定活動をはじめて比較的すぐに気がついた。どうやら、自分のしていることはあまり、もしかすると、ほとんど役に立たないらしい、と。ただ、そこで同時に気がついたのは、だからといって、いなくなればいいというものでもないらしい、ということだった。いなくなれば、ただ、現状がそのまま残されるだけだ。なにもできないかもしれないけれど、私にできるのは、見ている人がいる、あなたのそばにずっといますよ、と伝えることなのかもしれない。なぜなら、誰だって自分のつらさをわかってもらえないで放っておかれるのはとても苦しいものだから。そうは言っても、お互いいい年をした大人なのに、なんの理由もなく「そばにいますよ」なんて来られても、はた迷惑でうっとうしいだけだ。だから、私は測定することをその理由とした。もちろん、測定そのもののニーズがなかったわけではないし、それによって生活に安定を取りもどしたと言ってくれる人もいる。けれど、一番大切だったのは、「もう必要ない」と言われるまで、そばにい続けられたことで、そばで誰かが見ているというだけで、人間は見違えるほど強くなれるものだ、そういうことだったのではないかと思っている。
外に向かって私が発信を続けた理由のひとつもそこにあって、ときおり、被災者の人と会ったときに、「他の人は見るのは止めたけれど、安東さんの発信だけはたまに見ています」と声をかけられることがあったからだ。いまもそういう人がいるのかはわからないけれど、誰か見ている人がいる、気をつけている人がいる、そう伝えることには、きっと意味があることだと思って、いろいろ思うところもありながら発信を続けてきた。
最後は、自分の話になってしまったけれど、ここに紹介した本は、被災地/被災者をめぐる発話や言説について興味がある方には、ぜひ読んでいただきたい。なにがどうして、こんな複雑になってしまったのかが、とてもよく理解できると思うから。
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