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躁うつ日記#29 NOと言う優しさ

大雨が降っていたある日、インターホンが鳴った。「何か配達の予定があったっけ」と訝しみながら出ると、不動産の営業だった。この時点で断ればよいものを、「一回インターホンで応対した手前、断りにくいな〜」と思ってドアを開けて話を聞いてしまった。

外は、私が思っていたよりも雨が吹き荒れていて、玄関口に少し顔を出したぐらいの私ですら「さむっ」と感じるほどに冷たかった。そんな中でも、営業の方は必死に営業の糸口を見つけようと色々と質問してきてくださるのだが、いかんせん不動産には縁遠く、曖昧な返答の極致のような対応しか出来なかった。おそらくお互いの頭の上に「不毛」という言葉が浮かんでいたことだろう。

私はついこういう、「ああ〜断れば良かった〜」な選択をしがちである。おそらくこのことにはバウンダリーが弱さが関係していて、容易く相手に踏み込ませてしまうのだと思う。実際、過去には、それで相手とのパワーバランスのようなものが崩れてしまって、私が疲弊して終わった関係もいくつかあった。

つい最近までは、こうした自分の特性ゆえの「絡まれやすさ」みたいなものについての被害感が強かったのだけれど、少しずつ変わってきている部分がある。

それは、「断った方が相手のためにもなる」という考え方だ。

「ここまではOK、でもここからは線を引くね」という線引きがないと、相手もどこまでいっていいか分からず、どんどんと突き進んできてしまったのかも。

先の話で言えば、さくっと営業を断った方が、営業の人も次の営業に行けるし、冷える風の中で一向に温まらない会話を温めようとしなくて済んだ、という考え方もあると思う。

私に必要だったのは、相手を受け入れようと試みることではなくて、自分のスペースをしっかりと提示することだったのかもしれない。

もしかしたらこれまでの人間関係についても、私が結局その関係をやめてしまう、という結果にならずに、もう少し、ゆるく長く続けられた関係もあったのかもしれない。冷えた手をさすりながらそう思った。まずは、営業を断ることから始めてみようと思う。

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