死ぬために本を読む
11月7日、彼女は言った「わたしの誕生日は、いいなの日です」その時の声を今でも覚えている。可愛かった。
わたしは高校生の頃から、死にたいと漠然と願っていた。半分病人のまま生きていた。そして大学時代に鬱々とした気持ちは歯止めが効かなくなり退学。いや除名だったか。そして引きこもりとフリーターを往復するようになった。人生の普通レールから大きく外れてしまったが、あの時はどうすることも出来なかったんだ。
二十四歳頃から具体的にどう死ぬか考えた。部屋で死ぬなら、何日か食事抜いてブルーシート敷いたほうが後処理が楽かな?首を吊るなら子どもたちが見ないような場所がいいかな?飛び降りるなら和歌山の三段壁にでも行くか、けどそうやって行くのだろう?遺書は?遺品はどうする?暗い未来だけをイメージし、蝕まれていった。
その反面、生きたくても病気にかかってしまった人を思ったり、自殺未遂をした人のブログを見て死ねなかった時のリスクを考えた。自死遺族の残された側の悲しい声も調べたりした。理性。はやく終わらせたいという感情を論理的に抑えていた。そういえば、わたしの家系は全員理系だ。
そんな時どこかで『自殺するならその前に本を100冊読め』的なことを言っているのを見つけた。後々わかったことだが北方謙三先生が全く同じことを言っていたので、そこから引用したのだと思う。
わたしはむかついた。本好きな奴って本が最上のものだと思いすぎてる。うぜーんだよ。本なんか読んで救われるわけねーだろ。おれだって一応50冊くらいは読んでるぜ。じゃあ苦しみが半分は減っただろって?そんなことはない。断じて無い。本読め本読めって宗教かなんかか?あ?
イキリボイスで威嚇しながら「じゃあ100冊読んでから死んでやる!!」という決意をした。誰に受かっての決意だったのだろうか。誰に対する怒りだったのだろうか。とにかく死を最終的なご褒美だと思い込むことにした。死は終末じゃない、完成なんだ。
それまでの読書経験から、軽い読書をしても自分が求めるような『何か』は手に入らないように直感していた。だから単細胞人間のわたしは直ぐに、世界で一番凄い小説とか、世界の文学TOP10とか、そんな阿呆な事をGoogleで検索した。
そうするとだいたいドストエフスキーの《カラマーゾフの兄弟》がヒットした。名前はもちろん知っている。難しい本なんだろ?まぁどうせ死ぬし読んでみるかと、記念すべき自殺ロードの1本目は《カラマーゾフの兄弟》に決まった。
難しいとは聞いていたが、読んでみると案外グイグイ読めた。普通に面白いじゃん、世の中の奴らは馬鹿しかいねーのか?と不遜な態度でガムを噛んだ。宗教観、ロシア観の話はあまり理解できず、流し読みだったくせに自惚れていたのである。
ただ各キャラクターの独白の様なセリフの応酬に痺れたのは事実だ。こいつらはほんとうの言葉で喋っている。読者への共感とか、ストーリーの展開、辻褄合わせの行動じゃなくて、本当に生きている、必死に苦しんでいる。この世界の登場人物はわたしそのものだと思った。
そこからドストエフスキーを貪るように読み、他の古典文学も読むようになった。
だけど読んでも読んでも、完全には満たされなかった。所詮は200年前に生まれたロシアのおっさんである。わたしは誰かに抱きしめられたかったんだ。
それでも最後にロシアにでも行って、ドストエフスキーの墓参りでもしてから死のうかしらと思い、旅費を稼ぐためアルバイトを探した。
そんなアルバイト先で、ある女の子と出会った。彼女はわたしが固く閉ざした心の扉を執拗にノックした。扉は徐々に開いてゆき、最初はぼんやりとした光だったが、最終的には部屋の隅々まで完全に照らしだした。孤独な人間にとってその光は気が狂うほど眩しく、彼女に惚れ込むのは必然であった。『夢想家』の誕生だ。わたしの知能は頭脳から心臓に降りていった。
ということで、わたしはすぐに就職した。人間なんてそんなもんだと思う。
その後、5年間で2回付き合って、5回振られた。
今日はそんな幸せな日々を思い出させる「いいなの日」。
あなたに幸せになって欲しい。あなたとならこんな糞みたいな世界でも1000年は生きたいと思わせてくれた。あんなに早く終わりたかったのに、次の瞬間には足りないと、神に唾を吐いた。そして罰が下ったのである。
今はもう一度サンクトペテルブルクを目指そうと決心している。だがウクライナ戦争は長引き、すぐには墓参りに行けそうもない。プーチンによって生き長らえている弱い男。
仕方がないから本でも読もう。だから死にたい奴らは本を読め、本を”1000冊”読め。
それでも駄目なら一緒に死のう。