社会人生活をスポーツに例えて振り返る 運動神経が悪いということ Vol.25
2023年が明けて、はや1週間あまり。今年、私は40代に突入し、32年間を予定する社会人生活が後半へ折り返す。元日は、近隣の家々の隙間から上る初日の出を特別な感慨をもって眺めていた。それでも生活は例年どおりで、この時期はフットボールの高校選手権があり、ラグビーは高校と大学の全国選手権が並行、箱根駅伝もあればアメフトのライスボウルもあって、スポーツ観戦に明け暮れている。
相変わらず、出来もしないことを観てばかりの私は、仕事もスポーツに例えることが多い。就職16年目、悪戦苦闘の前半戦は、バスケであればダブルスコア以上の点差がついた。初任の部署は厳しい先輩方の洗礼を浴びて一年足らずで転出、スタートから躓いた。アメフトでいえば、試合開始早々キックオフリターンタッチダウンを奪われたようなものだ。その10年後に異動した前部署でも二の舞いを演じ、再び心療内科の世話になった。スリーノックダウン制の立ち技系格闘技だとしたら、もはや後が無い。
あらゆるスポーツを通じて、プレイヤーには何かしらの能力が求められるが、それは仕事も同様だろう。困難な状況に置かれても、強さがあれば正面突破できるし、賢さがあれば最適解を導き出せる。要領が良ければ、そもそもそんな状況に直面することなく、成功への最短距離を駆け抜けていける。どうやら、黙認させる怖さとか、甘え上手な可愛らしさとか、何を言われようがどこ吹く風の鈍さでも備わっていれば、少々しくじったところでダメージは軽減できるらしい。得点を量産する攻撃力が無いのなら、せめて失点を抑える守備力が欲しいところだが、すべてが不足しているのだから、私の苦戦は必然だった。
挙げ句、降格の憂き目を見た。現資格は下から二番目、大相撲に当てはめれば序二段だ。同じ資格に分布するのは若手ばかりだから、いずれは最年長となるだろう。大きなビハインドを負った後半戦、高校野球なら思い出づくりのためベンチの3年生に出番を与え、プロ野球なら粛々と敗戦処理に移る局面だ。箱根駅伝の復路は、上位が往路のタイム差に基づいて順番にスタートしていくのに対して、下位は一斉にスタートする。制限時間に間に合わなければ、次なる中継地点で繰り上げスタートを強いられるが、たとえ襷をつなげなくとも、力を抜くことなく走り続けるランナーの姿には胸を打たれる。勝者の栄光、その影で紡がれるものも大会を織り成す一部だ。私の社会人生活も、間もなく一斉スタートにて復路に入る。