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「子どもの成長が嬉しい」と感じる、親である自分の気持ちを深ぼり中(生後3ヶ月)

生後2ヶ月〜3ヶ月は、できることがどんどん増えていく時期だったように思う。子育て日記を見返すとこんなことを書いていた。

おしゃべりが上手になってる!あーあーうーうーって言ってる!声が出せることを知って喜んでる?

生後2ヶ月と8日

気づいたら聞いたことのない声を出している娘ちゃん。
また「何かをつかむ」「何かをなめる」という動きも増えていった。

ひもかしゃ(※かしゃかしゃ音が鳴る布にひもがついたおもちゃをそう呼んでいる)のひもをつかんだ!

生後2ヶ月と10日

初めてこぶしじゃなくて人差し指と親指をなめているのを目撃。
帰省したときにもらったくまのラトルを手に近づけてみたら握った!

生後2ヶ月17日

右手でオーボールにぎってしゃかしゃかしてた。

生後2ヶ月22日

オーボールを口に運んでペロペロしてた。

生後2ヶ月27日

自分で自分の服をつかんでる〜

生後2ヶ月29日

オーボールとは、網目上のボールのおもちゃ。指がひっかかりやすい形状なので偶然手に当たったときにつかむ、という様子を見せてくれていた。しかも、オーボールをつかんだ日から5日後にはなめることもできるようになっていた。

この時期、特に驚いたのはうつ伏せの上達具合だ。

タミータイムで、首をあげるのが上手になってきてる!

生後2ヶ月と5日

急にうつ伏せの持続時間アップ!しかも、うつ伏せ中に声を出せるようになってる!

生後2ヶ月17日

うつ伏せ10分弱もできた

生後2ヶ月30日

タミータイムとは、赤ちゃんをうつ伏せにして過ごす時間のことで、生後1ヶ月頃からご機嫌なタイミングを見計らって行っていた。首があがらずプルプルしているときもあれば、首を持ちあげるのがつらそうですぐに嫌そうなそぶりを見せることもあった。

それが急に首がすっとあがるようになった。じーっと静かにうつ伏せ姿勢を保つようになったかと思えば、いつの間にかその姿勢のまま声を出せるようになり、持続時間も伸びた。びっくり。毎日の積み重ね、すごい。


「気付いたらできることが増えている」という驚きを感じながら過ごしていた生後2ヶ月半の頃、日記に書いていたことがある。

この数日の間にできることが増えて成長が目覚ましい。見逃したくない気持ちが高まっている。

2ヶ月半の頃の日記

この日記を書いたときのことはよく覚えている。「最近、目があうと笑ってくれるなあ」とほっこりしていて、ふと「いつから目があうと笑うようになったんだっけ?」と思い返してみたのだが、わからなかったのだ。

毎日娘ちゃんと過ごしていると嬉しいことも面白いこともちょっと大変なことも起こる。立ち止まってみると「この仕草をするのは(できるようになったのは)初めてでは?!」と気づけるけれど、慌ただしい日はそうしたことに思いを馳せる余裕はない。

あとから「これっていつからできるようになってたんだろうか」と、歴史的瞬間を見逃したような、ちょっぴり悔しい気持ちになるのである。

できることがたくさん増えて成長していて嬉しい気持ちと、何かを見逃したかもしれない悔しい気持ち。これからもっとバタバタする日々になるだろうけれど、できるだけ成長の瞬間を見守れますようにという思いで日記に書き留めていたのだった。


なにかができるようになるということは、逆にその行動を習得していなかった頃の様子は見られなくなるということでもある。

見られなくなったものといえば、(行動ではないのだが)吸いだこだ。
授乳するときにうまく唇を使えないと上唇真ん中にできるという吸いだこ。娘ちゃんが生まれて数日後にはできていて、1週間経つ頃に取れて、またできて、と繰り返していた。

我が家では「吸いだこちゃん1世」「吸いだこちゃん2世」…と呼んでいるという話を友達にしたら、「それでいくと18世くらいまで会えるよ」と言われたので特に写真に撮ることもなく過ごしていたのだが、なんと7世とお別れしあと8世と出会うことはなかった。吸うのが上手になっているということで喜ばしくはあるものの、もう吸いだこちゃんに会えないのは淋しくもあるのだった。

子育てをしているとある日を境に見られなくなる仕草や姿があって、娘ちゃんと過ごしている今この瞬間が、実はその仕草・姿を見られる最後のタイミングだったとあとからわかる、というようなことって、これからもっと増えるんだろうなあ。


ところで、最近とあるnoteを読んでハッとしたことがある。
2歳のお子さんが成長していく姿を見たときの感情をこんな風に綴られていた。

子どもの成長にはいつも喜びと寂しさが表裏一体なのだと改めて感じる。
(略)
あっという間に成長してしまう子どもの時間の速さに驚かされる。
それが少し切なく、でも愛おしい。

子育てとはこういうものだ。
気づかないうちに終わりがやってきて、次のステージへと進んでいく。
私はそんな彼の変化を少し寂しく思いながらも、これから彼が見つけていく新しい世界を楽しみにしている。
次はどんな言葉で、どんな世界を教えてくれるのだろう。

神田ちあきさん
「子育ての終わりはいつも突然【子育てエッセイ】」より

この文章を最初に読んだときは、共感をした。ぼんやりと考えていたことを言葉にしてもらっているような気持ちになった。

が、改めて読み直したときに、似ているけれど少し違う、私ができるようになりたい考え方だと気付いた。それは「これから彼が見つけていく新しい世界を楽しみに」というところ。

私は学習塾のようなところで生徒がなにか(勉強やコミュニケーション等)をできるようになることをサポートする仕事をしている。それもあって、小さな変化であっても、なにか成長していることを見つけて言葉にする、ということを自然にしている。様子を観察する(見守る)のが好き。

でも、それってあくまで大人目線(親目線)の成長を見つけようとしているだけなのかもしれない、とハッとしたのだ。

言葉でのコミュニケーションをするまでは表情から想像させてもらったり、いずれは言葉で教えてもらったり、娘ちゃんにとっての新しい世界を一緒に楽しめる大人でありたいなと思った。

喜び、驚き、淋しさ、切なさ、愛おしさ…もしかしたらこの先、憤りを感じることもあるのかも。娘ちゃんを見守りながら味わう感情は、それはそれで大切にしたいとも思っている。

自分の感情、自分目線で見えてくる娘ちゃんの成長、娘ちゃん目線で見える世界。それぞれ別ものだと認識しながら親をやっていきたい。

(2024年12月〜2025年1月にかけての日記)

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あんみつ
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