黒い沼から抜け出す策は「お断り」
今日のチーム打ち合わせで、月曜までに資料をつくるよう、指示があった。
月曜の午前中に、クライアントとの打ち合わせがあるからだ。
しかし今日も今日とて締切三昧。
明日は明日で、他県から何時間もかけて友人がわたしを訪ねてきてくれる日だ。そんなの彼女が「もうつかれたからホテル帰るわ」というまで楽しみたいじゃないの。
というわけで、月曜までに資料をつくるなら日曜に時間をつくるしかない。
幸いにも日曜日は外出など特別な予定はなく、一応休みとしている。一応ね。たぶん仕事はするんだよね。今週ぜんぜん捗らなかったから…。
でももし土曜も日曜もプライベートで遊びの予定が入っていたとしたら、わたしは勇気を持って「難しい」と言えただろうかと、ふと思う。
断らなければ、おそらく今日あたり睡眠時間を削って資料をつくるのだろう。
チームリーダーにはもう本当にたくさんのことを教わっているし、お世話になっているし、そのぶん力になりたいと思うから、わたしはよほど旅行などでなければ断らないと自覚している。
なかなか冷たい人間にみられがちなわたしだが、多少はそういう人情を持っているのだ。
自分で力になれるなら…と思うときには、(後先考えず)YESといってしまうところがある。
そして、そのために、余裕がなくなってほかに対して塩対応をぶちかます羽目になる。したがって一定数からは冷たい人間だと思われがちな部分がある。
別に冷たいと思われることを気にしているわけではない。
課題は、これからは(一時的にでも)、もっとNOをいっていく必要があることだ。
つまり「断る勇気」である。
別に理由なんていわなければ相手にはわからないわけだから、遊びに行く予定で仕事を断っても、単に休みたいから仕事を断っても、まったく問題ない。「すみません。ちょっと今回は厳しそうです」というだけだ。
それに対して「いや仕事だからね?できないとか、ないから」などと、昔散々かわいがってもらった先輩のように詰めてくるクライアントはいない。
それなのに、遊びとか、休みとか、自分のためだけの理由で仕事を断ることに後ろめたさを感じるのはなぜだろう。もしかしてその先輩が原因か?
たぶん、仕事の効率化が図れて、たとえば今1日かかっている仕事が半日で終えられるようになっても、わたしの休みは増えないと思う。
なぜなら、今のままでは効率化できたぶん、また仕事を詰めるからだ。
だからどうしても仕事を断っていかなきゃならない。
だって今の生活・働き方はどう考えても不健康だから。
というようなことを、ここ数日だらだらと書いている。
口のなかでもぐもぐ味わっていただけで、ちゃんと飲み込めていなかったんだ。
でも今この瞬間、喉元を過ぎた気がした。
返信を来週に先延ばしした問い合わせがいくつかある。
呑むか吐き出すか、しっかり吟味したい。
このブラックな沼から抜け出すために。
今日も読んでくれてありがとうございます。
最近あなたが断ったことはなんですか?